天皇の殯宮に奉仕した比自岐和気氏の祖神、7月第4日曜日に祇園祭
比自岐神社 三重県伊賀市比自岐683
[住所]三重県伊賀市比自岐683
[電話]0595-37-0922

比自岐神社(ひじきじんじゃ)は、三重県伊賀市比自岐にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 伊賀郡「比自岐神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

創祀年代は不明。第11代垂仁天皇の庶子である圓目王(円目王)の妻、伊賀の比自岐和気氏(ひじきわけし)の祖を祀る。

比自岐氏は、当地の豪族だったという。御祭神は比自岐神。

圓目王は『令集解』に見える皇族で、『古事記』などにはない。また、第21代雄略天皇の時にも同名の皇族が見え、関連が指摘される。

比自支和気はもともと天皇の殯宮に奉仕していたが、雄略天皇が崩御した時、一族が絶えていた。

そこで、たまたま、比自支和気の娘を妻としていた円目王が奉仕させられた、という。

後に円目王の子孫は、課役を免ぜられ、代々遊部となった。遊部は垂仁天皇の子孫であるともされる。

遊部は、天皇の喪に籠もる一番近い肉親以外で、殯宮に入り、崩御した天皇に2人1組で仕える役。

遊部は大和国高市郡に居住していたと言われ、橿原市四分町が比定されている。

後述のように、現在の当社では剣根命を合祀しているが、もとは葛城地方の土神とされる剣根命が祀られているところに、当地や比自岐和気氏と大和の関係がうかがえる。

円目王と名が似ている葛城円大臣も、雄略天皇に関係してくる模様は、『古事記』にも描かれている

当社の別称は、天王宮、あるいは大森神社という。当地は、比自岐森邑と呼ばれ、往時は相当な森だったとされる。

天正9年(1581年)、伊賀の乱によって社殿はことごとく焼失。江戸時代初期の慶長9年(1604年)に再建された。

明治41年、境内社・剣神社や村内の神社を合祀。

現在は天児屋根命天照大神を配祀し、剣根命・応神天皇建速須佐之男命火産霊神大物主神宇迦之御魂命木花佐久夜比売命大山祇神伊邪那岐命大綿津見神菅原道真を合祀する。

先述の剣根命はもとは剣神社の御祭神だろうか。であれば、当社の近くに剣神社があったのが偶然かどうかが問題になりそう。

大正2年(1913年)、県社に列した。

平成10年(1998年)9月22日、猛威を振るった台風7号が当地を襲い、当社境内に残る樹齢400年を超える大木をなぎ倒し、千古を袴る欝蒼とした杜が壊滅した。

その後、復興作業が行われた。例祭は11月12日。7月第4日曜日には祇園祭がある。

祇園祭はかつては旧暦6月14日に行われ、「祇園踊り」「ハナトリ」などからなる。市の無形民俗文化財に指定されている。

「祇園踊り」はもとは雨乞いのための「かんこ踊り」で、華やかな祭り衣装の子どもたちが太鼓を打ちながらを踊る。

奉納されたハナや団扇を氏子たちが奪い合い「ハナトリ」はこの地方の夏の疫神払いで、当社でも、祭が終わると奪い合ったものを持ち帰り、1年の厄除けとする。

なお、当社から南東3キロほどに比々岐神社が鎮座しており、社名の類似や距離の近さから、関係が指摘される場合がある。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、家内安全
比自岐神社 三重県伊賀市比自岐
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