宣化朝の創建、高松橋、羯鼓踊り・裸々押し・祇園祭など伝統行事
[住所]三重県伊賀市馬場951
[電話]0595-43-0158

陽夫多神社(やぶたじんじゃ)は、三重県伊賀市馬場にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 阿拝郡「陽夫多神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

『延長風土記』に「押盾天皇戌午国造多賀速祭之也」とあり、『和名抄』『伊賀風土記』に、伊賀河合郷の総社とあるという。

第28代宣化天皇3年(538年)に国中に疫病が流行したので屏息祈願のため伊賀国造多賀連が創建したという。

御祭神は健速須佐之男命。高松神とも、河合天王とも呼ばれた。素戔嗚尊奉祀神社「全国清々会」にも加盟している。

かつて境内には高松橋と呼ばれる橋があった。

室町時代の一条兼良の紀行文『ふち河の記』に、「玉瀧をたちて かは井 といふ所をとをる。ひとつはしあり。高松宮の右のかたにありてみやる。牛頭天王にてましますとかや」とある。
わたりえぬ うき世に波におほゝれて かはゐの橋を ふむぞあやふき

ゆふかけて 猶こにきかめ ほとゝぎす 手向のこゑの 高松のみや
以上の歌が収録されている。これは五月雨の季節で河水が氾濫して橋が危うく見えるのを見て、戦火で荒廃する諸国のありさまを例えたものと伝わる。

明治41年(1908年)2月、火明神社ほか24社を、同年7月に、穴石神社から分祀した天津神社ほか9社を合祀。

現在までに、五男三女命を配祀し、天之火明命火之迦具土神・香々背男命・大物主命大山祇神大日孁貴命宇迦能御魂神伊邪那伎命伊邪那美命・速玉之男神・事解之男命・天児屋根命蛭子命菊理比売命を合祀している。

例祭は4月20日で、羯鼓踊り(かっこおどり)が奉納される。もとは火明神社の神事で、江戸時代初期の寛永年間(1624年-1645年)より毎年夏祭りに奉納されていた。

雨乞いと農作物の豊作を祈願した神事で、頭に山鳥の尾、背中に「オチズイ」と呼ばれる飾りをつけ、前には鞨鼓を下げて踊る。

2月18日には裸々おし(裸々押し)がある。下帯姿の男衆が肩を組んで威勢よく押し合い、五穀豊穣や家内安全を願う。

安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)以来の伝統の行事とされ、二つの地区に分かれた氏子同士が押し合い、その年の収穫の具合などを占ったとも。現在は一般参加も可。

8月1日が祇園祭。精進祭が7月25日に、宵宮祭が7月31日にあって、花火奉納大会が行われる。

宵宮祭の早朝には、長さ35メートルの大幟が各字氏子中から7基奉納される。

「願之山踊り」が奉納される。和太鼓三つを取り付けた屋形「願の山」が40人の引き手によって境内を引き回される。

頭に羽根をつけた氏子が囃し歌に合わせて太鼓をたたきながら踊る。他に、深湯神事・神輿神幸式・花傘取りなどがある。

境内にある「馬場の宮井」は、この祇園祭期間中だけ水が湧き出ると伝わる。「神井」と呼ばれ、何年経過しても腐敗することのない神水として信仰されている。

境内社に、八柱神社(大山祇神・火之迦具土神・五男三女神・金山比売神)がある。

また、境内には「御旅古墳」という石室が剥き出しになったままの古墳が存在する。埋葬者は不明。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、五穀豊穣、家内安全
陽夫多神社 三重県伊賀市馬場
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陽夫多神社 三重県伊賀市馬場の御朱印