神橋のすぐそばの日光三社の一つ、世界遺産、「日光の原点」
[住所]栃木県日光市山内
[電話]0288-54-0535 - 二荒山神社

本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は、栃木県日光市山内にある神社。日光の二荒山神社別宮の一つ。世界文化遺産「日光の社寺」の一つ、二荒山神社に含まれるため、当社も世界遺産ということになる。

勝道上人が日光開山に向かったところ、川が荒れ、行く手を阻んだ。

そこで、一心に祈ると、異形の神が出現し、2匹の蛇を投げて橋とし、勝道上人を助けたという「山管の蛇橋」という伝説がある。

この橋が、有名な神橋であり、当社のすぐ近くにある。つまり当社は、「日光山内」の入り口にあたる。

ちなみに、その異形の神は、神橋の向かいの深沙王堂に祀られている。

また、勝道上人が7歳の時、夢で日光開山のお告げを受けたという。その時に出現した明星天子を祀った祠・星の宮が、神橋近くの坂の上にある。

当社は一説に、奈良時代の神護景雲元年(767年)、勝道上人が大谷川北岸、四本瀧寺の側に創祀したという。

その後、その地は、稲荷川の水害の恐れがあるとして、平安時代の天長4年(827年)、やや北方の小玉堂の東に遷座した。

小玉堂は、弘仁11年(820年)、弘法大師空海が滝尾において修行した際、池の中から大小二つの白玉が浮かび出た。

小の玉を虚空蔵菩薩本尊として、この小玉堂を建てて祀り、大の玉を妙見大菩薩本尊として、中禅寺妙見堂を建てて祀った。中禅寺妙見堂は火災で明治期に焼失した。

その後、嘉祥3年(850)、今の日光東照宮の側に遷座し、これを新宮権現と称して、その後、今の二荒山神社本社に移った。

そこで、旧地に社殿を造営し、本宮権現として、味耜高彦根命を奉斎したのが当社。

先述の弘法大師が修業した、女体中宮と呼ばれた瀧尾神社も含め、当社の本宮・本社の新宮とともに、日光三社、あるいは日光三社権現と呼ばれた。

江戸時代前期の貞享元年(1684年)、大火で焼失、 翌年に再建された。これが現在の本殿で、国の重要文化財に指定されている。

4月17日の二荒山神社の弥生祭の時、 三社の神輿がここに渡御する。

境内には、勝道上人が笈を掛けたという「笈掛石」がある。

社務所などはなく、当社の御朱印は、本社の二荒山神社で頂くことができる。「日光の原点」などとある。また、神橋の専用御朱印もある。

【ご利益】
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本宮神社 栃木県日光市山内
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本宮神社 栃木県日光市山内の御朱印