飛鳥朝創祀、藤原秀郷の崇敬、室町後期本殿が重文、下野国三宮?
[住所]栃木県栃木市岩舟町小野寺4697
[電話]0282-57-7285
村檜神社(むらひじんじゃ)は、栃木県栃木市岩舟町小野寺にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 下野国 都賀郡「村桧神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀は飛鳥時代の大化2年(646年)と伝えられ、熊野大神、大山咋命の2柱を奉斎したという。
小野寺・上岡・下岡・三谷・新里・古江・下津原・駒場・鷲巣・畳岡の佐野庄小野寺十郷の総鎮守として崇敬された。
平安時代初期の大同2年(807年)に皆川村小野口に鎮座していた八幡宮(誉田別命)を当社に合祀、主祭神とした。
藤原秀郷(俵藤太)が、唐澤山城した際は、当社がその鬼門に当ることから守護神として、厚く崇敬された。
天慶2年(939年)、承平天慶の乱において、平将門追討後、秀郷は神恩感謝として、奉幣、弓矢を奉納、また永代70貫文を寄進したという。
現在の本殿は室町時代後期の建物で、三間社春日造、屋根は桧皮葺で、国の重要文化財の指定を受けている。
造営については、小野寺領主、唐沢城主、足利義持などがあたったと伝えられている。
「下野国式内三之宮」とも呼ばれるという。下野国は日光と宇都宮の二荒山神社が一宮とされる以外、二宮以降は不詳とされる。当社は三宮か。
あるいは、特段「式内」がついており、『延喜式』神名帳 下野国の条では都賀郡が筆頭で、式内社「村桧神社」は確かに3番目に記載されている。
河内郡は都賀郡の次の記載で、河内郡に属し、下野国唯一の名神大社でもある二荒山神社は、式内社「村桧神社」の次の4番目の記載となる。
なお、式内社「村桧神社」の論社は他に、鹿沼市村井町の胸形神社がある。
当社の例祭は10月17日。境内社に、西宮神社などがある。
【ご利益】
子授け子育て、学業成就、五穀豊穣

【関連記事】
・栃木県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、栃木県に鎮座している神社の一覧
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村檜神社(むらひじんじゃ)は、栃木県栃木市岩舟町小野寺にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 下野国 都賀郡「村桧神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀は飛鳥時代の大化2年(646年)と伝えられ、熊野大神、大山咋命の2柱を奉斎したという。
小野寺・上岡・下岡・三谷・新里・古江・下津原・駒場・鷲巣・畳岡の佐野庄小野寺十郷の総鎮守として崇敬された。
平安時代初期の大同2年(807年)に皆川村小野口に鎮座していた八幡宮(誉田別命)を当社に合祀、主祭神とした。
藤原秀郷(俵藤太)が、唐澤山城した際は、当社がその鬼門に当ることから守護神として、厚く崇敬された。
天慶2年(939年)、承平天慶の乱において、平将門追討後、秀郷は神恩感謝として、奉幣、弓矢を奉納、また永代70貫文を寄進したという。
現在の本殿は室町時代後期の建物で、三間社春日造、屋根は桧皮葺で、国の重要文化財の指定を受けている。
造営については、小野寺領主、唐沢城主、足利義持などがあたったと伝えられている。
「下野国式内三之宮」とも呼ばれるという。下野国は日光と宇都宮の二荒山神社が一宮とされる以外、二宮以降は不詳とされる。当社は三宮か。
あるいは、特段「式内」がついており、『延喜式』神名帳 下野国の条では都賀郡が筆頭で、式内社「村桧神社」は確かに3番目に記載されている。
河内郡は都賀郡の次の記載で、河内郡に属し、下野国唯一の名神大社でもある二荒山神社は、式内社「村桧神社」の次の4番目の記載となる。
なお、式内社「村桧神社」の論社は他に、鹿沼市村井町の胸形神社がある。
当社の例祭は10月17日。境内社に、西宮神社などがある。
【ご利益】
子授け子育て、学業成就、五穀豊穣

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