筑前の宗像を勧請、藤原秀郷・源頼朝の寄進、小山氏の崇敬と神紋
[住所]栃木県小山市網戸102
[電話]0285-45-7319
網戸神社(あみとじんじゃ/あじとじんじゃ)は、栃木県小山市網戸にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 下野国 寒川郡「胸形神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。
創建年代は不詳。筑前の宗像神社からの勧請と伝えられ、これが式内論社の根拠となっている。他の論社に、寒川に式内同名の神社がある。
主祭神は田心姫命で、水運の神。平安時代初期の大同元年(806年)10月28日、再建されたという。
天慶2年(939年)、藤原秀郷(俵藤太)は承平天慶の乱において、平将門追討のために当社に祈願し、戦勝した後、金100貫文を奉納したという。
源頼朝も、文治3年(1187年)、小山政光の妻である寒川尼を当地方の地頭職に任じ、当社に領地を寄進した。
以来、尼公をはじめ、歴代の網戸城主の崇敬も篤く、小山家の定紋 「左二ツ巴」を、当社の神紋としている。
この頃、藤原一族の祖神である天児屋根命を併せて祀った。現在は他に大山祇神も配祀している。
江戸時代になり、寛政年間(1789年-1801年)、文政年間(1818年-1831年)にかけて社格問題があったという。式内比定論争か。
大正3年(1914年)5月20日、渡良瀬川改修工事の一環として堤防拡幅がなされ、当社は、本宿2448番地の千古の杜より、旧城内、つまり現在地に遷座した。
思川西岸、網戸大橋の南側の平地に鎮座している。
この年の8月19日、沼ノ台の浅間神社、庚申塚の皇宮神社、高揚の熊野神社、折本の奥瀬神社、本宿の八坂神社、大境の神明宮を合祀した。
上記各社はいずれも、もとからあった水神宮・天満宮・千形神社・権兵衛稲荷神社・三峯神社などとともに境内社とした。
例祭は10月13日。6月15日には八坂神社の祇園祭、12月22日には稲荷神社の冬至祭があり、2月11日に湯立て神事、11月27日には八郷廻りの御出がある。
神職は、天正年間(1573年-1593年)以降、小山家譜代久楽持家の世襲だという。
【ご利益】
交通安全、家内安全、厄災除け(公式HP)
【関連記事】
・栃木県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、栃木県に鎮座している神社の一覧
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網戸神社(あみとじんじゃ/あじとじんじゃ)は、栃木県小山市網戸にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 下野国 寒川郡「胸形神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。
創建年代は不詳。筑前の宗像神社からの勧請と伝えられ、これが式内論社の根拠となっている。他の論社に、寒川に式内同名の神社がある。
主祭神は田心姫命で、水運の神。平安時代初期の大同元年(806年)10月28日、再建されたという。
天慶2年(939年)、藤原秀郷(俵藤太)は承平天慶の乱において、平将門追討のために当社に祈願し、戦勝した後、金100貫文を奉納したという。
源頼朝も、文治3年(1187年)、小山政光の妻である寒川尼を当地方の地頭職に任じ、当社に領地を寄進した。
以来、尼公をはじめ、歴代の網戸城主の崇敬も篤く、小山家の定紋 「左二ツ巴」を、当社の神紋としている。
この頃、藤原一族の祖神である天児屋根命を併せて祀った。現在は他に大山祇神も配祀している。
江戸時代になり、寛政年間(1789年-1801年)、文政年間(1818年-1831年)にかけて社格問題があったという。式内比定論争か。
大正3年(1914年)5月20日、渡良瀬川改修工事の一環として堤防拡幅がなされ、当社は、本宿2448番地の千古の杜より、旧城内、つまり現在地に遷座した。
思川西岸、網戸大橋の南側の平地に鎮座している。
この年の8月19日、沼ノ台の浅間神社、庚申塚の皇宮神社、高揚の熊野神社、折本の奥瀬神社、本宿の八坂神社、大境の神明宮を合祀した。
上記各社はいずれも、もとからあった水神宮・天満宮・千形神社・権兵衛稲荷神社・三峯神社などとともに境内社とした。
例祭は10月13日。6月15日には八坂神社の祇園祭、12月22日には稲荷神社の冬至祭があり、2月11日に湯立て神事、11月27日には八郷廻りの御出がある。
神職は、天正年間(1573年-1593年)以降、小山家譜代久楽持家の世襲だという。
【ご利益】
交通安全、家内安全、厄災除け(公式HP)
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