石裂山南麓、尾鑿山山頂を遥拝、神代杉と黒ダルマ、9月に獅子舞
[住所]栃木県鹿沼市入粟野713
[電話]0289-86-7717

賀蘇山神社(かそやまじんじゃ)は、栃木県鹿沼市入粟野にある神社。国史見在社で、近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建年代は不詳。『日本三代実録』元慶2年(878年)9月16日条に「下野国賀蘇山神、従五位下」とある。

御祭神は、天御中主神月読命武甕槌命大国主命を配祀する。

当社は石裂山の南麓にあり、西麓の上久我に加蘇山神社があって、両社をあわせて賀蘇山神とされる場合がある。

尾鑿山とも呼ばれる石裂山は標高879メートル。その山頂直下に岩屋があり、奥宮あるいは本社と呼ばれる。

これを遥拝する遥拝殿がある。その岩屋まで大人の健脚でも90分を要し、また女性の入山が禁止されていた時代もあり、この遥拝殿が活用された。

遥拝殿は三間四方の宝形造りで、 正面に向拝一間を設けている。別名を下の宮とも。総欅造りで精巧荘厳な彫刻が四囲に配される。

日光東照宮を修築した日本屈指の棟梁、彫工たちによって寛永18年(1641年)頃から着工、実に60年後の元禄14年(1701年)に完成したという。

『賀蘇落穂』によれば、石裂山山頂近くの剣ノ峰に、賀の岩と蘇の岩がある。賀の岩は五穀豊穣の岩、蘓の岩は医薬長寿の岩。

両岩から、賀蘇山の神という名になり、このあたりを分岐点とする都賀郡、安蘓郡の名も当社神名に由来する。

現在は、尾鑿山山頂の奥宮の位置する峻厳な雄姿を象った御神威「黒だるま」の社として、知られる。

慶長2年(1597)6月、時の領主結城秀康によって社殿が再建されたという。

しかし、寛永11年(1634年)、宝暦2年(1751年)、文政7年(1824年)にそれぞれ火災に遭い、旧記を焼失した。

大スギがあった。幹の周囲14.8メートル、 樹高は実に70メートル、推定樹齢1800年という、日本一と判定された御神木。神代杉とも呼ばれた。

明治44年(1911年)、落雷により燃え、3日3晩の消火を要したという。大正6年(1917年)にも火災の類焼を受け、地上2.5メートルを残し、伐採された。

現在はその跡と、大杉神社が祀られている。他の境内社に、月山神社、稲荷神社、山神社、厳島神社、都波岐神社などがある。

例祭は9月23日。尾ざく地区と下五月地区の獅子舞が奉納される。

【ご利益】
家内安全、交通安全、事業成功、健康長寿
賀蘇山神社 栃木県鹿沼市入粟野
【関連記事】
栃木県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、栃木県に鎮座している神社の一覧
賀蘇山神社 栃木県鹿沼市入粟野の御朱印