古墳期の宝物が発掘、藩中行事の一環、夏の風物詩・須坂祇園祭
[住所]長野県須坂市大字須坂字芝宮1048
[電話]026-245-3908

墨坂神社(すみさかじんじゃ)は、長野県須坂市須坂芝宮にある神社。長電長野線の須坂駅の東約700メートル。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 高井郡「墨坂神社 」に比定される式内社(小社)の論社。『延喜式』神名帳では高井郡の筆頭。近代社格では郷社。

創建年代は不詳。一説に、飛鳥時代の白鳳2年(674年)とも。住古、大和部族移住に際し、大和国宇陀郡榛原より墨坂神を遷祀した。

御祭神は墨坂大神。墨坂大神は、天御中主神高皇産霊神神皇産霊神伊邪那岐神伊邪那美神大物主神の6柱の神々の総称とされる。

奈良時代後期の天応元年(781年)10月14日、神封一戸を賜った。なお、式内論社は他に、墨坂に八幡神社とも呼ばれる同名神社があり、ここまでの由緒は両社共有している。

須田氏などの歴代領主から崇敬され、特に江戸時代に入ると、須坂藩主堀家の庇護を受け、正月や例祭などは藩主が参拝に訪れたという。

特に正月8日には当社から天満宮、小山八幡と巡拝するのが藩中行事とされた。江戸時代後期の安政5年(1858年)、境内を拡張し、社殿を増築した。

現在に見られる広々とした境内と社殿群が整えられた。明治6年(1873年)、郷社に列し、明治41年、神饌幣帛料供進社に指定された。現在までに健御名方命が合祀されている。

大正7年(1918年)9月、当社境内から甕・横瓮・坩・壷などが発掘され、現在は社宝になっている。古墳時代のもののようで、相当古くから当地が拓けていたことが分かる。

須坂の地名は、墨坂神を祀る当社、墨坂の里が語源だという。なお、当社は上述の近接する八幡の同名神社と区別するため、特に芝宮とも通称される。

境内社に、稲荷社(倉稲魂命)、金毘羅社(大物主大神)、彌栄神社(須佐之男命)、農産神社(保食命)、天神社(菅原道真)、西宮神社(事代主命)がある。

例祭は9月13日。毎年7月21日-25日の5日間にわたり須坂祇園祭が行われる。もとは藩主堀家の先祖の霊を静める御霊会だった。

その後、町民に開放されてからは、競うように笠鉾や屋台、神輿が造られ、現在のような須坂の夏の風物詩になった。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、家内安全
墨坂神社 長野県須坂市須坂芝宮
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