飛鳥朝創建、平安期に八幡を合祀、武田信玄や藩主堀家の崇敬
[住所]長野県須坂市墨坂1-8
[電話]026-245-5763

墨坂神社(すみさかじんじゃ)は、長野県須坂市墨坂にある神社。長電長野線の須坂駅の南西約700メートル。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 高井郡「墨坂神社 」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

旧大字小山八幡の地。創建年代は不詳。一説に、飛鳥時代の白鳳2年(674年)とも。住古、大和部族移住に際し、大和国宇陀郡榛原より墨坂神を遷祀した。

御祭神は墨坂大神。墨坂大神は、天御中主神高皇産霊神神皇産霊神伊邪那岐神伊邪那美神大物主神の6柱の神々の総称とされる。

奈良時代後期の天応元年(781年)10月14日、神封一戸を賜った。

平安時代の貞観2年(860年)10月15日、男山八幡より帯中津日子尊気長足姫尊品陀和気尊の八幡神を勤請し、以来、墨坂神社八幡宮と称した。

旧地名の八幡しかり、以後、そして現在に至るまで八幡社、八幡神社と呼ばれることが多くなった。八幡墨坂神社とも。

『延喜式神名帳』では高井郡の筆頭であり、のちに郡の一宮(一之宮)に定められた。なお、式内論社は他に、芝宮の同名神社がある。八幡勧請以外、ここまでの由緒は両社共有している。

社家の山岸氏は勅使の巡国の際、郡内を御供したと伝わる。鎌倉時代に入り、武将の神田の寄進など、崇敬が篤くなり、武田信玄も祈願状を寄せて武運長久を祈ったという。

領主の須田氏は産宮として、多数の神器を奉納した。江戸時代になり、須坂藩の藩主家である堀氏にもやはり崇敬され、祈願所と定められた。

年間の祭事料として籾1石2斗5升、人足4人が遣わされ、2代藩主堀直升は3石を寄進した。結果、わずか1万石の小藩でありながら、寄進高は8石あまりとなった。

明治になるまで、10日間の大祭中には日市、馬市、大角力芝居、競馬などが行われ、番所が設けられて、藩より重職が出張して警護にあたった。

昭和3年に県社に列した。現在までに、天照大神を併せて祀り、健御名方命を配祀、菅原道真火産霊命などを合祀している。例祭は9月14日-22日。

拝殿の近くに、若宮社(大雀命)、高良社(武内宿禰命)、養蚕社(大宜津比売命)があるが、若宮社は高梨氏の守護神として信仰されたという。

他の境内社に、参道の弁天社(市杵嶋比売命)、祖霊社(山岸大祖)、伊勢社(天照大御神)、天神社(菅原道眞)、稲荷社(宇賀魂命)、山神社(大山祇命)、松尾社(大山咋命)、諏訪社(健御名方命)、飯綱社(宇氣母智命)がある。

1.5ヘクタールの撞木形境内には、ケヤキなどの大木や古木が鬱蒼とした社叢を形成しており、市の天然記念物に指定されている。

【ご利益】
武運長久・勝運、家内安全、地域安全
墨坂神社 長野県須坂市墨坂
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