『日本書紀』記載かつ頻出する神、神武東遷の墨坂の地、波動水
[住所]奈良県宇陀市榛原萩原703
[電話]0745-82-0114

墨坂神社(すみさかじんじゃ)は、奈良県宇陀市榛原萩原にある神社。『日本書紀』記載の国史見在社で、近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『日本書紀』に記載されている、初代神武天皇の東遷における大合戦の一つ、墨坂の地に奉斎された神社で、御祭神は墨坂大神。

墨坂大神は、天御中主神高皇産霊神神皇産霊神伊邪那岐神伊邪那美神大物主神の6柱の神々の総称とされる。

創建年代は不詳だが、やはり『日本書紀』第10代崇神天皇の時代、疫病がまん延した際、各所での祭祀の中で、9年3月甲子朔戊寅、4月甲午朔に墨坂神が登場する。

同時に記載されている大坂神は大坂山口神社ではないかとされる。大坂山口神社は、香芝市の穴虫逢坂にそれぞれ同名の神社がある。

さらに『日本書紀』第21代雄略天皇7年秋7月甲戌朔丙子にも、三諸の「この山の神は大物主神である」に続き、「あるいは曰く菟田の墨坂の神なりと」とある。

ことほどかように、「墨坂」や当社のことは『日本書紀』に頻出する。『日本書紀』記載の神社となると非常にごく少数に限られるが、その中でも当社のこの頻出度合いは異例。

それだけ、古代より特別な神として崇敬されていた。天武天皇の白鳳元年(673年)に大来皇女を使者として奉幣されたとも伝えられている。

『新抄勅格符抄』によれば、奈良時代後期の天応元年(781年)、信濃国に神戸一戸を賜うとある。

現在、信濃国に同名社が存在し、長野県須坂市の墨坂の旧県社と、須坂芝宮の旧郷社があり、当社からの分祀。

これほどの古社で、由緒がありながら、なぜか『延喜式神名帳』大和国の項目には記載されていない式外社。ちなみに、信濃国には記載がある。

もとは、伊勢街道の西峠、現在の榛原町西峠付近の天の森に鎮座していたが、現在地に遷座した。その時期は、飛鳥時代の第33代推古天皇15年(607年)とも、室町時代の文安6年(1445年)とも。

旧地に小祠が祀られ、上の宮と称していたが、江戸時代後期の天保10年(8139年)、数町上に遷して天神神社と改称された。

中世には当社は六所大権現、天野宮と称し、現在の本殿は江戸時代後期の元治元年(1864年)造営に際して春日大社の旧本殿を下賜された、いわゆる春日移し。

例祭は11月3日で、古式により渡行式が執り行われ、西峠の旧地まで時代行列、太鼓台が列をなすという。近隣町村では「榛原まつり」と称し、賑わっている。

8月3日が夏季大祭で、現在では7月の下旬から8月上旬にかけて、墨坂火祭りが行われる。

境内社に、龍王宮(竜王宮)がある。御神水である「波動水」を祀る。奇跡の水と称され、パワーを得られ、健康に良いとされる。パワースポットとして知られる。

他に、恵比須社・菅原社・市岐島社・天神社・金比羅社・愛宕社・稲荷社・八幡社・大山祇神社・山乃神・祓戸社などがある。

2月には「榛原えびす」「榛原初えびす」があり、参詣者が多い。

【ご利益】
身体壮健、健康長寿、厄災除け
墨坂神社 奈良県宇陀市榛原萩原
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墨坂神社 奈良県宇陀市榛原萩原の御朱印