開村と同時期創建の旧上高井戸村の鎮守、社殿彫刻、江戸中期の狛犬
[住所]東京都杉並区高井戸西1-7-2
[電話]03-3332-1356
第六天神社(だいろくてんじんじゃ)は、東京都杉並区高井戸西にある神社。近代社格では村社。
創建年代は不詳。高井戸村の開村と同時期と考えられ、鎌倉時代の創建とも伝わる。
戦国時代の永禄2年(1559年)の『小田原衆所領役帳』では、「高井堂」との記載がみえる。
また、古くから当地、旧上高井戸村の鎮守社であったと伝えられている。なお、当社は明治時代以前には「第六天神」と呼ばれていた。
御祭神は、面足命・惶根命。別当は真言宗智山派の医王寺。
江戸時代後期の天保年間(1830年-1843年)に本殿や拝殿が焼失。その後しばらく仮殿の状態だったが、安政3年(1856年)に現在の本殿を再建。
明治5年(1872年)11月、村社に列し、明治14年(1881年)には拝殿も再建された。この本殿や拝殿の彫刻には定評があり、特に拝殿は深川の彫工後藤勇次郎の作。
中央自動車道の新設にともない、社殿を後方に移すことになり、昭和47年(1972年)6月には鉄筋コンクリート造による本殿の覆殿および幣殿が新築された。
さらに、この際には拝殿屋根の葺き替えや7社の境内社を祀る鉄筋コンクリート造銅板葺の末社殿を新築した。
この7社は、秋葉神社・白山神社・浅間神社・天祖神社・氷川神社・稲荷神社2社。浅間神社・天祖神社の2社は、もとは字前山と字伊勢にあったもので、明治期に当社境内に遷座した。
例祭は9月10日。
明治以前の祭日は11月22日だった。昭和40年(1965年)頃までは本祭前夜の宵宮になると、農作業を終えた人々が御神酒を飲みながら夜通し拝殿にこもる「おこもり」という風習があった。
また、昭和初期までは「雨乞い神楽」も行われていた。
鳥居から拝殿に向かうと二対の狛犬が置かれている。手前の一対目の狛犬が大正6年(1917年)造、奥の二対目の狛犬が明和8年(1771年)造。
江戸時代中期の造営となる奥の二対目の狛犬は、焼失した旧社殿よりも前に造られた貴重なもので、区の指定文化財になっている。
現在、当社は下高井戸浜田山八幡神社の兼務社の一つで、当社御朱印も下高井戸浜田山八幡神社で頂ける。
【ご利益】
家内安全、五穀豊穣、地域安全(公式HP)
【関連記事】
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
[電話]03-3332-1356
第六天神社(だいろくてんじんじゃ)は、東京都杉並区高井戸西にある神社。近代社格では村社。
創建年代は不詳。高井戸村の開村と同時期と考えられ、鎌倉時代の創建とも伝わる。
戦国時代の永禄2年(1559年)の『小田原衆所領役帳』では、「高井堂」との記載がみえる。
また、古くから当地、旧上高井戸村の鎮守社であったと伝えられている。なお、当社は明治時代以前には「第六天神」と呼ばれていた。
御祭神は、面足命・惶根命。別当は真言宗智山派の医王寺。
江戸時代後期の天保年間(1830年-1843年)に本殿や拝殿が焼失。その後しばらく仮殿の状態だったが、安政3年(1856年)に現在の本殿を再建。
明治5年(1872年)11月、村社に列し、明治14年(1881年)には拝殿も再建された。この本殿や拝殿の彫刻には定評があり、特に拝殿は深川の彫工後藤勇次郎の作。
中央自動車道の新設にともない、社殿を後方に移すことになり、昭和47年(1972年)6月には鉄筋コンクリート造による本殿の覆殿および幣殿が新築された。
さらに、この際には拝殿屋根の葺き替えや7社の境内社を祀る鉄筋コンクリート造銅板葺の末社殿を新築した。
この7社は、秋葉神社・白山神社・浅間神社・天祖神社・氷川神社・稲荷神社2社。浅間神社・天祖神社の2社は、もとは字前山と字伊勢にあったもので、明治期に当社境内に遷座した。
例祭は9月10日。
明治以前の祭日は11月22日だった。昭和40年(1965年)頃までは本祭前夜の宵宮になると、農作業を終えた人々が御神酒を飲みながら夜通し拝殿にこもる「おこもり」という風習があった。
また、昭和初期までは「雨乞い神楽」も行われていた。
鳥居から拝殿に向かうと二対の狛犬が置かれている。手前の一対目の狛犬が大正6年(1917年)造、奥の二対目の狛犬が明和8年(1771年)造。
江戸時代中期の造営となる奥の二対目の狛犬は、焼失した旧社殿よりも前に造られた貴重なもので、区の指定文化財になっている。
現在、当社は下高井戸浜田山八幡神社の兼務社の一つで、当社御朱印も下高井戸浜田山八幡神社で頂ける。
【ご利益】
家内安全、五穀豊穣、地域安全(公式HP)
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