目原川と真目原という禁足地、式内「目原坐高御魂神社」の論社
天満神社 奈良県橿原市太田市町225
[住所]奈良県橿原市太田市町225
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天満神社(てんまんじんじゃ)は、奈良県橿原市太田市町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「目原坐高御魂神社二座(大和国・十市郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)の論社。近代社格では村社。

創建年代は不詳。太田市集落北東に鎮座。

『磯城郡誌』によれば、社前で南北から東西へ曲流する小川を俗に目原川と称し、社前には真目原という禁足地の小丘があった。

この禁足地に入ると、足にマメができるという伝えがあったという。現在は公民館になっている。

もとは、菅原道真を祀る天神・天満宮だったが、『大和志』により式内比定されたため、高御魂神神産日命を追加したという。

式内社「目原坐高御魂神社」は、多神社の別宮として、第13代成務天皇5年、神託によって創祀されたとも伝えられる。

そのため、多氏の同族である肥直との関連が指摘される。また、『日本書紀』第23代顕宗天皇3年4月5日条にみえる高皇産霊神の社とされる。

奈良時代の天平2年(730年)、神戸の租稲271束のうち4束が祭神料にあてられた。

平安時代の大同元年(806年)には、「目原二神」に大和国内で神封が寄せられた。

天安3年(859年)1月27日、従五位下より従五位上に昇叙された。

なお、『五郡神社記』では「目原坐高御魂神社二座」は木原村にあり、高皇産霊神・天万栲幡姫を祀るとする。

該当するのは、耳成山口神社と、江戸時代中期に耳成山口神社と袂を分けた、現在の山之坊山口神社があり、いずれも「目原坐高御魂神社」の論社。

例祭は10月10日。境内には、享保6年(1721年)銘の石灯籠がある。また、もとは子安神社の境内社だった稲荷神社がある。

子安神社は、当社の20メートルほど東南にあった、古来より綏靖天皇陵の伝承があった塚に鎮座していたが、大正5年(1916年)に当社へ合祀された。

ちなみに、第2代綏靖天皇の陵墓は現在、宮内庁により、四条町に位置する四条塚山古墳に治定されている。

境内にある観音堂には石造十一面観音坐像が安置されていたという。現在は空とも。古来、子安観音と称されている。

子安神社が合祀されるはるか以前、江戸期には当社も含めて子安明神と呼ばれていたとも。

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天満神社 奈良県橿原市太田市町
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