もとは耳成山鎮座の耳成山天神宮、江戸中期に下山して現在地に
山之坊山口神社 奈良県橿原市山之坊町304
[住所]奈良県橿原市山之坊町304
[電話]0744-22-0008 - 葛本神社

山之坊山口神社(やまのぼうやまぐちじんじゃ)は、奈良県橿原市山之坊町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「目原坐高御魂神社二座(大和国・十市郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)の論社。

現在の当社は耳成山の北東に鎮座し、昭和42年(1967年)に創建された新しい神社。しかし、その由緒は古い。

もともとは耳成山に鎮座していた。耳成山には、旧名を耳成山口神社とする天神社と、耳成山天神宮があったという。

前者は木原村に所属し、現在は旧名に復した耳成山口神社で、後者が当社の源流となるが、古来、耳成山の祭祀に関して、両者間の争いが絶えなかった。

江戸時代前期の慶安4年(1651年)、耳成山天神宮を奉じる山之坊村民が、おそらくは天神社の御神木を伐り荒らした事件を発端に、入会をめぐる争論があったという。

これについては、江戸時代中期の元禄15年(1702年)あるいは宝永2年(1705年)になって、耳無山天神(天神社)を式内社である耳無山口神社(耳成山口神社)とするということで決着した。

しかし、享保年間(1716年-1735年)、木原と山之坊で耳成山をめぐって境界争いがあり、耳成山が木原の所属となったので、山之坊の宮司が神霊を奉じて下山、現在地に祀った。

現在地が宮司宅となり、その子孫がその邸宅で祭祀を行ったという。そのため、式内社の後継社となる。昭和になり改めて創建された、という次第。

御祭神は大山祇命。しかし諸説あり、式内社とした場合、二座となることもあり、社名からは容易に高御魂神を連想させる。他に、その娘の拷幡千々媛命

例祭は10月10日。

耳成山口神社は、式内社「耳成山口神社」とされたが、現在はその説と、引き続き「目原坐高御魂神社二座」の可能性が指摘されている。

「目原坐高御魂神社二座」の他の論社に、太田市町の天満神社がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、地域安全、家内安全
山之坊山口神社 奈良県橿原市山之坊町
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