もとの春日神社、社地交換で現社号に、大社との関係深く春日移し
[住所]奈良県天理市乙木町765
[電話]0743-66-2285
夜都岐神社(やつぎじんじゃ/やとぎじんじゃ)は、奈良県天理市乙木町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「夜都伎神社(大和国・山辺郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
夜都伎神社とも書かれ、「やつき」「やとぎ」などとも読まれる。乙木(おとぎ)という集落の北端に鎮座する。
夜都岐は、於都岐や乙木の誤写とする説もある。また、夜都岐は八剣が変化したとも。
また、『石上振神宮略抄』にある長滝町日の谷(火の谷)の竜王社は、「夜都留伎神」とされて、当社の上社と考えられた。
昔、乙木の人々は、旱魃の時の雨乞のため、竹之内峠を越えて詣でていたといい、「夜都岐」は、「夜都留伎」からの変化であるとする説もある。
乙木には、もとは夜都伎神社と春日神社の2社があったが、夜都伎神社の社地を約400メートル東南の竹之内の三間塚池と交換し、乙木は春日神社1社のみとして現社号に改めたものという。
この三間塚池の地が現在の十二神社の社地で、式内社「夜都伎神社」の論社。他に、夜都留伎の神を勧請したという田井庄町の八剣神社も論社になっている。
そのため、もとは春日神社であり、御祭神は、武甕槌命・比売大神・経津主命・天児屋根命。
乙木は、古くは興福寺大乗院及び春日大社領の乙木荘で、そのため春日大神を当地に勧請したものとみられる。
当社東方に「鹿足石」という石があり、武甕槌神が春日影向の途中に立ち寄った時の神鹿の足跡であるといい、その傍らに、武甕槌神が休息した乙女の松があるという。
乙木の地名由来の可能性がある。
約200メートル北に東乗鞍古墳、約300メートル北西に西乗鞍古墳があり、当地も宮山(たいこ山)と呼ばれ、古墳を削平して社殿を造営したといわれている。
春日大社との関係が深く、江戸時代末期まで「蓮の御供」という神饌を献上していた。
春日大社からは、古くなった社殿・鳥居を60年ごとに当社に下賜して使用させる伝統があり、応永13年(1406年)には春日大社の第四殿を下賜されている。いわゆる春日移し。
また、寛正2年(1461年)4月6日には大乗院の尋尊が参詣に訪れている。現在の本殿は明治39年(1906年)に春日大社から移された建物。
その構造はやや複雑で、中央の大きな社殿で武甕槌神を、右手の小振りの社殿が比売大神を、左手の小振りの社殿で経津主命を、その左手の、さらに小振りの社殿で天児屋根命を祀る。
比賣大神を祀る社殿の右手の、さらに小振りな社殿が境内社の琴平神社(大物主命)になっている。他の境内社に、八坂社・鬼子母神などがある。
鳥居は江戸時代後期の嘉永元年(1848年)4月、奈良若宮から下げられたものという。拝殿はこの地方では珍しい萱葺。
西には、神宮寺である十来子堂(じゅうらいしどう)、つまり十羅刹女堂があったが、現在は乙木集落の薬師堂に移されている。
例祭は10月13日。
【ご利益】
家内安全、厄災除け、地域安全
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・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
[電話]0743-66-2285
夜都岐神社(やつぎじんじゃ/やとぎじんじゃ)は、奈良県天理市乙木町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「夜都伎神社(大和国・山辺郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
夜都伎神社とも書かれ、「やつき」「やとぎ」などとも読まれる。乙木(おとぎ)という集落の北端に鎮座する。
夜都岐は、於都岐や乙木の誤写とする説もある。また、夜都岐は八剣が変化したとも。
また、『石上振神宮略抄』にある長滝町日の谷(火の谷)の竜王社は、「夜都留伎神」とされて、当社の上社と考えられた。
昔、乙木の人々は、旱魃の時の雨乞のため、竹之内峠を越えて詣でていたといい、「夜都岐」は、「夜都留伎」からの変化であるとする説もある。
乙木には、もとは夜都伎神社と春日神社の2社があったが、夜都伎神社の社地を約400メートル東南の竹之内の三間塚池と交換し、乙木は春日神社1社のみとして現社号に改めたものという。
この三間塚池の地が現在の十二神社の社地で、式内社「夜都伎神社」の論社。他に、夜都留伎の神を勧請したという田井庄町の八剣神社も論社になっている。
そのため、もとは春日神社であり、御祭神は、武甕槌命・比売大神・経津主命・天児屋根命。
乙木は、古くは興福寺大乗院及び春日大社領の乙木荘で、そのため春日大神を当地に勧請したものとみられる。
当社東方に「鹿足石」という石があり、武甕槌神が春日影向の途中に立ち寄った時の神鹿の足跡であるといい、その傍らに、武甕槌神が休息した乙女の松があるという。
乙木の地名由来の可能性がある。
約200メートル北に東乗鞍古墳、約300メートル北西に西乗鞍古墳があり、当地も宮山(たいこ山)と呼ばれ、古墳を削平して社殿を造営したといわれている。
春日大社との関係が深く、江戸時代末期まで「蓮の御供」という神饌を献上していた。
春日大社からは、古くなった社殿・鳥居を60年ごとに当社に下賜して使用させる伝統があり、応永13年(1406年)には春日大社の第四殿を下賜されている。いわゆる春日移し。
また、寛正2年(1461年)4月6日には大乗院の尋尊が参詣に訪れている。現在の本殿は明治39年(1906年)に春日大社から移された建物。
その構造はやや複雑で、中央の大きな社殿で武甕槌神を、右手の小振りの社殿が比売大神を、左手の小振りの社殿で経津主命を、その左手の、さらに小振りの社殿で天児屋根命を祀る。
比賣大神を祀る社殿の右手の、さらに小振りな社殿が境内社の琴平神社(大物主命)になっている。他の境内社に、八坂社・鬼子母神などがある。
鳥居は江戸時代後期の嘉永元年(1848年)4月、奈良若宮から下げられたものという。拝殿はこの地方では珍しい萱葺。
西には、神宮寺である十来子堂(じゅうらいしどう)、つまり十羅刹女堂があったが、現在は乙木集落の薬師堂に移されている。
例祭は10月13日。
【ご利益】
家内安全、厄災除け、地域安全
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