石清水八幡宮の元宮ともされる、大安寺・辰市・子安八幡宮
[住所]奈良県奈良市東九条町字宮ノ森1316
[電話]0742-62-3240

八幡神社(はちまんじんじゃ)は、奈良県奈良市東九条町宮ノ森にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

大安寺八幡宮とも、元石清水八幡宮とも。あるいは辰市(たつのいち)4ヶ郷の氏神とされたことから、郷社石清水八幡神社や辰市八幡宮などとも。

御祭神は、仲哀天皇応神天皇神功皇后。大安寺の鎮守だったが、安産に効ありとの信仰も集めており、そのために子安八幡宮とも称される。

本殿下に土製の鳩が無数に並ぶが、それらは安産祈願に参詣した者が奉納したものという。

『大安寺八幡宮御鎮座記』によれば、入唐した大安寺の僧行教が帰朝の途次に豊前宇佐八幡宮に参籠してその神影を奉戴、大同2年(807年)に大安寺東室第7院の石清水房に鎮座したのが起源。

後に神殿を造営して遷座し、「石清水八幡宮」と号して大安寺の鎮守神としたが、貞観元年(859年)に神託によって山城男山へ遷座したため、改めてその跡に祀ったのが創祀。

また異説として、『七大寺巡礼私記』によれば、斉衡2年(855年)に行教が勧請して創祀したとも。

鎮座地は『七大寺巡礼私記』に「東塔の北に在り」とあるように、かつては大安寺の寺域に属して南には同寺の東塔が建っていた。

また『御鎮座記』にある石清水房も「大安寺伽藍絵図」によると現社地と大安寺の間にあったことが確認できる。

なお、『七大寺日記』によれば、大安寺の金堂の東に南北1町ほどに連なった僧坊の跡がある。その北から4番目の坊が行教の坊であったという。

その傍らに石清水という井戸があるとし、現社地北方の御霊神社境内にある「石清水の井」がその井の遺称であるという。

以上から見て、当社は、石清水八幡宮の元宮ということになる。ただし、石清水八幡宮はこれを否定している。

中世には「辰市八幡宮」と称され、辰市4ヶ郷の鎮守神として尊崇され、春日大社の正預に就任した者は必ず一度は頭役として勤仕する定めであった。

永正元年(1504年)に焼失、その後再興されたが、元亀2年(1571年)の松永久秀の辰市攻略などの戦乱で大安寺とともに衰微した。

慶長元年(1596年)には大地震によって大安寺とともに罹災、その影響で大安寺が一時廃寺の状態となったために独立し、在地の氏神として村民の手によって復興された。

本殿は方3間の流造で屋根檜皮葺。本殿前方に建つ中門は瓦葺の四脚門であるが、左右に翼廊が連なるため割拝殿のようにも見える。室町時代の建立で、市指定文化財。

『多聞院日記』によれば、以前は8月17日が祭礼日で、大安寺祭として賑わい、猿楽の奉納も行われていた。

また、氏子である大安寺地区に座筋(入座の資格を持つ家柄)が厳然と保たれた左右2座の宮座があり、当屋の行事なども古来の仕来りで継続されている。

左座は大同2年に宇佐から勧請した際に供奉したと伝わる仲氏の子孫を、右座は当地にあって出迎えたという坂井氏の子孫を称す。今は他氏の入座を一部認める村座に改まっている。

現在の例祭は10月10日。

境内社に、若宮神社(仁徳天皇)、武内神社(武内宿祢命)、菅原神社(菅原道真公)、厳島神社(市杵島姫命)、稲荷神社2社(保食神)、猿田彦神社(猿田彦命天照皇大神)、金刀比羅神社(金刀比羅大神)、春日神社(天児屋根命大物主命)、命婦神社(豊玉姫命玉依姫命)、加茂神社(伊邪奈岐命)、祓殿神社(瀬織津比売命)などがある。

当社南方およそ1キロメートル、東九条公民館前に八幡神社が鎮座する。これは、付近の当社氏子が、隔たった氏神を遙拝するために昭和29年(1954年)にその御分霊を祀る小祠を営んだもの。

【ご利益】
安産、家内安全、地域安全
八幡神社 奈良県奈良市東九条町宮ノ森
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