久米氏の祖神である天久米命・大久米命、後世に久米寺の鎮守社
久米御縣神社 奈良県橿原市久米町786
[住所]奈良県橿原市久米町786
[電話]0744-22-4960 - 畝火山口神社

久米御縣神社(くめのみあがたじんじゃ、久米御県神社)は、奈良県橿原市久米町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「久米御県神社三座(大和国・高市郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創建の由緒は不詳である。「御県神社」という神社は大和国内に7社あり、いずれも皇室の御料地である御県(みあがた)に鎮座していたものである。

当社以外の6社は、『延喜式祈年祝詞』に記載され、大和国六御県神社と総称される。当社が『延喜式祈年祝詞』に含まれないのは不詳。

『日本書紀』第11代垂仁天皇27年に「是歳、来目邑に屯倉を興す」という記述があり、当社の創建もその頃とみられる。

御祭神は、高皇産霊命・大来目命・天櫛根命。『五郡神社記』では「天櫛根大久米命」で一つの神名にしている。

これを踏まえ、『式内社調査報告』では、もとは1柱の神であったものが近世に二つに分割して伝えられたもの、としている。しかし、『延喜式神名帳』には三座とある。

大来目命は、天久米命とも、大久米命とも。当社では大和朝廷の軍事を掌ったと説明しており、後者のことか。

どちらにしろ久米部の祖神で、一帯は久米部の居住地であった来目邑であり、その祖神を祀ったものだという。

天櫛根命は不詳。久米氏の祖神と関係の深い神とされる。似た神名に天櫛玉命があるが、『先代旧事本紀』饒速日命の降臨時に現れる神。

天久米命は、『古事記』において、邇邇芸命の降臨時の随行者で、「降臨」がキーワードか。高皇産霊命も、『古事記』においては、天孫降臨の主導者の一人。

久米氏の衰退とともに当社も衰微したが、隣接して久米寺が創建され、当社はその鎮守社として再建された。

以後、平安時代から江戸時代まで、西座・東座・九月座の宮座が中心となり奉斎されてきた。

江戸時代中期からは「天満宮」「天神社」と呼ばれるようになった。現在も、「天満宮」「天神社」と書かれた燈籠が数多く残る。

明治初年の神仏分離により久米寺から分離され、明治時代中期に現社号に改称した。

例祭は10月15日だったが、現在は10月第2日曜日。

境内社に、本殿に向かって左に誉田別命天児屋根命大日霊貴命が、向かって右に熊野神社(伊奨冉命)がある。

また、境内地樹林のなかに臥龍石と称する巨石があり、干ばつの時これを動揺すれば降雨があるとの伝えがある。

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久米御縣神社 奈良県橿原市久米町
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