平安期に秀郷が勧請した大栗稲荷、近郷十祠に分祀、明治改称
関東五社稲荷神社 栃木県佐野市大栗町127
[住所]栃木県佐野市大栗町127
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関東五社稲荷神社(かんとうごしゃいなりじんじゃ)は、栃木県佐野市大栗町にある神社。御朱印の有無は不明。

社記よれば、創建は平安時代の天慶5年(942年)、藤原秀郷が相模国松岡稲荷大明神をこの地に移し、宮を建設した。

松岡稲荷は、飛鳥時代の大化2年(646年)に創建されたもので、御祭神は伊弉諾尊素盞嗚尊大己貴尊

符合するものとしては、神奈川県鎌倉市浄明寺には藤原鎌足伝説が伝わる鎌倉稲荷社がある。

同時に烏森王子、新福院、大栗稲荷の4社も移されたので、これより関東五社稲荷大明神と称するようになったという。当社はこのうち大栗稲荷で、下野国冨士村の地ともされる。

鎌倉時代の文治2年(1186年)、佐野荘司成俊が田沼一瓶稲荷を奉遷した。

建仁2年(1202年)9月、西場太郎成行が西場稲荷を奉遷した。

元久元年(1204年)2月、小山新左衛門尉朝長が小山稲荷を奉遷した。

元久2年(1205年)2月、阿曽沼四郎広綱が阿曽沼金屋稲荷を、藤倉太郎直政が熊谷稲荷を奉遷した。

文保2年(1318年)2月、園田四郎左衛門尉光氏が細谷稲荷を奉遷した。

元享2年(1322年)2月、藤岡伊勢守房行が藤岡稲荷を奉遷した。

戦国時代の文亀元年(1501年)2月、岩崎左馬助重長が岩崎稲荷を奉遷した。

永禄6年(1563年)2月、青山美濃照久が田島稲荷を奉遷した。

寛治2年(1088年)2月、小野寺式部大輔通成が小野寺稲荷を奉遷した。ただし、この年号には誤りがありそうで、恐らく江戸期の何かの年号と混同したもの。

これら10祠の元宮が当社で、当社は大栗稲荷山稲荷とも称された。

天正13年(1585年)、小田原の北条氏直が唐沢山城を攻め、同城の至近に位置した当社も兵火に遭い、社殿・宝物・古記録を焼失した。

明治6年(1873年)、現社号に改称し、現在に至る。

【ご利益】
家内安全、地域安全、厄災除け
関東五社稲荷神社 栃木県佐野市大栗町
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