聖山・二上山の「岳の権現」、石上神宮・大和神社の元宮とも
葛木二上神社 奈良県葛城市加守1044
[住所]奈良県葛城市加守1044
[電話]0745-77-3079

葛木二上神社(かつらぎふたかみじんじゃ)は、奈良県葛城市の二上山雄岳山頂付近にある神社。葛木坐二上神社などとも表記される。

『延喜式神名帳』にある「葛木二上神社二座(大和国・葛下郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建の年代は不詳である。二上山には石器の素材となる讃岐岩(サヌカイト)の層があり、古くから周辺に人が住んでいたものとみられる。

「二上山が噴火した」という口碑が残り、二上山そのものが地下から盛り上がり、これを天磐船と称したとの伝承もある。

矢田坐久志玉比古神社にも磐船石に関する伝承がある。また、物部氏の遠祖饒速日尊が降臨したという哮峰は、二上山のことともされる。古くからの聖山。

御祭神は、豊布都霊神(とよふつのみたまのかみ)と大国魂神(おおくにたまのかみ)。豊布都霊神が石上神宮に、大国魂神が大和神社に勧請されたという伝承がある。

豊布都霊神については、一般的に布都御魂とされる。また、武雷神と同神とされる。大国魂神は国津神の大将軍とされる。

二上山は、北緯34度32分の線上、いわゆる「太陽の道」にあたる。このライン上では、天照大御神に関する伝承が多く残るとされるが、当社には特段見られない。

ただし、当社に伝わる船にまつわる伝承と関連して、太陽の道の西端には淡路島の舟木石上神社がある。古代の造船集団と考えられる船木氏と関連があるとされる。

文献の初出は、『日本三代実録』の貞観元年(859年)正月27日条、当社に従五位上の神階を授けるという記述。

当麻寺中之坊所蔵の『当麻寺付近絵図』には二上山の雌岳に神蛇大王(竜王)を祭る社もあったことが記されており、現在は中之坊鎮守として遷座し、境内稲荷神社末社に竜王社の小祠となったとの伝承がある。当社との関係は不明。

近世には当社は「岳の権現」と呼ばれ、二上山からの水流を利用する数十ヶ村の岳郷の氏神だった。明治6年(1873年)4月、郷社に列した。

昭和49年(1974年)の二上山大火で社殿が焼失し、翌昭和50年(1975年)に再建されたのが現在の社殿。

旱魃の年には岳郷によって「嶽の神様 幟がお好き、幟持てこい、雨降らせ」と唱和して雨乞いの登山が行われた。現在は毎年4月23日に有志による「岳登り」が行われている。

内部には小さな榊の御神体がある。例祭は7月25日・10月25日。

本社の東側に大津皇子の墓、宮内庁により「大津皇子二上山墓」と命名されている。大津皇子の墓については異説もある。この墓と当社の関係は不明。

山麓の葛木倭文坐天羽雷命神社(倭文神社)に、相殿神として当社の大国魂神が祀られている。

雄岳山頂の境内に立ち入るには、美化保存協力金として200円を支払う必要がある。

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葛木二上神社 奈良県葛城市加守
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