景行朝に天の橋立を勧請、秋桜にちなむ命名、遷座をしのぶ地名
金櫻神社 山梨県山梨市歌田714
[住所]山梨県山梨市歌田714
[電話]-

金櫻神社(かなざくらじんじゃ)は、山梨県山梨市歌田にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 山梨郡「金桜神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

一説に第12代景行天皇の御代、狭穂彦王三世孫の臣知津彦公の御子である塩見定尼が、甲斐国の国造に任ぜられ、その際、丹後国の天の橋立より橋立明神を勧請し斎祀したという。

塩見定尼は京の丹波氏族であり、その氏神を奉遷したと伝わる。御祭神は陰陽二神、すなわち伊奘諾尊伊奘冊尊

もとは五反地に鎮座したが、平安時代の貞観4年(862年)、金桜地将に遷座。

この西村の旧社地に桜の古樹があり、毎年秋になると花をつけて秋桜と呼ばれ、五行説のうち秋は金に配され、金は秋の借り字として、現社号が定着したという。

戦国時代の天文19年(1550年)に炎上、安土桃山時代の天正10年(1582年)、織田勢の乱入による兵火に遭い、翌天正11年(1583年)末に今の社地に移った。

当社遷座の状況に応じ、地名にも、五反田・御供田・古屋敷・地将金桜・神喰田・碓鍋太(田)鍵田・蔵米・大神原・並木並桧木田・坊主田京塚・桜田・十日田・洗井・西屋敷・源町などが残る。

その後、江戸時代初期の元和2年(1616年)に再興され、元禄年間(1688年-1704年)には拝殿が改築された。

江戸時代中期の正徳年間(1711年-1716年)、石鳥居が建立され、寛政2年(1790年)より5年にわたる本殿の改築が行われた。

これは、京の番匠一先斉某の考案による戸板、欄干など彫刻の斬新さと、八ツ棟の結構は実に華麗を極めたとの記録が残る。

当時は、黒印社領2石8斗6升、社地688坪とされ、現在までに他に、地主神・天照大神大己貴命少彦名命が配祀されている。

ただし、現在、山梨県神社庁の記載では、地主神・天照大神が欠けており、4柱を祀っているとしている。

昭和58年(1983年)に子供神輿が奉納された。例祭は10月15日。

なお、式内社「金桜神社」の論社は他に、甲府市御岳町と、山梨市内の牧丘町杣口万力に同名の神社がある。いずれも金峰山の里宮で、式内社は金峰山山頂の本宮の可能性がある。

【ご利益】
家内安全、夫婦和合、病気平癒
金櫻神社 山梨県山梨市歌田
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