武田信玄が信濃侵攻で戦勝祈願し、帰途に奉斎、一説に式内社とも
諏訪神社 山梨県北杜市長坂町大井ヶ森1208
[住所]山梨県北杜市長坂町大井ヶ森1208
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諏訪神社(すわじんじゃ)は、山梨県北杜市長坂町大井ヶ森にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 山梨郡「大井俣神社」に比定される式内社(小社)の参考社。近代社格では村社。

創建年代は不詳。『甲斐国志』が当社を式内社比定している。であれば、創建は遅くとも平安時代前期まで遡ることになる。

ただし、当社地は巨麻郡であり、山梨郡とするには無理がある。『式内社調査報告』にも当社に関する記述はない。

戦国時代の天文9年(1540年)、武田信玄が村上合戦の際、信濃進攻のための拠点の一つである当社に戦勝を祈願した。

戦に勝ち、帰国の途次に奉斎し、現社号に改め、雁又の矢に神田二反歩と社掌板山与左衛門に「祝」の姓を与えて諏訪大社の神紋梶の葉を用いることを許可したという。

社前に大石があり、御座石または腰掛石と呼ばれている。信玄が腰掛けたものだろうか。御祭神は、建御名方命。現在は、大井ヶ森諏訪神社とも呼ばれる。

江戸時代初期の慶長8年(1603年)、幕府黒印状により神領寄付とあり、資料として明確なのはこの年で、創建の確実な年代は天正年間(1573年-1593年)以前とされる。

江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)、火災に遭い、資料など含めすべて焼失したという。

例祭は10月2日。境内には小さな石祠がずらりと並んでいる。

なお、式内社「大井俣神社」の論社には、山梨市北の大井俣窪八幡神社、小原西の大井俣神社、甲府市川田町の二宮神社がある。

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諏訪神社 山梨県北杜市長坂町大井ヶ森
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