亀岡の泥湖を開拓した神々が集まり相談した神原の地、黄金伝説も
[住所]京都府亀岡市東別院町神原
[電話]-
徳神社(のりじんじゃ)は、京都府亀岡市東別院町神原にある神社。御朱印の有無は不明。
口丹波、亀岡市と大阪府との県境の山間部に広がる地域で、山中に集落が点在する亀岡の秘境。
竜ヶ尾岳南山麓にある神原は、南北に伸びる谷間の集落で、北側には亀岡カントリークラブがあり、ゴルフ場と集落の間の山麓に当社は鎮座する。
創建年代は不詳。御祭神は大山祇命。亀岡開拓の時に出雲の神々が集合した場所だという。地名の神原はそれにちなむ。
大昔の亀岡盆地は大蛇が住む泥湖であったと言い伝えられている。霧の立ち上る湖が見渡せる高台に集まって、神々が湖水開削を相談した。
現在の高槻市に繁るカシの木で舟を作り、鋤や鍬で「諸田」の谷を切り開き、泥水を流し込んで現在の肥沃な亀岡盆地が生まれたという。
亀岡盆地が湖だったということに関する伝承は、下記の周辺各地に残る。
市内千歳町千歳の出雲大神宮、上矢田町の鍬山神社、大井町の大井神社、篠町山本の桑田神社、保津町立岩の請田神社、大阪府高槻市田能の樫船神社、所在不明の餅籠神社など。
もともとは伝承通り、見晴らしの良い山頂に鎮座していたが、いつの時代か、山麓の現在地に遷座したという。
山頂の旧地には「朝日輝き夕日照る所に黄金の鶏が埋めてある」という黄金伝説が伝わる。
現在は、山林・農耕の神として、また村の鎮守として崇敬されている。境内末社にいくつかの社殿があるが、詳細は不明。
境内の手水鉢は、江戸時代中期の享保15年(1730年)、石鳥居は享保16年(1731年)、石燈籠は江戸時代後期の文化5年(1808年)に寄進されたもの。
【ご利益】
五穀豊穣、事業成功、地域安全
【関連記事】
・亀岡盆地が太古は湖だった伝承を残す神社とは? - 口丹波、出雲・大国主命の国造り
・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
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徳神社(のりじんじゃ)は、京都府亀岡市東別院町神原にある神社。御朱印の有無は不明。
口丹波、亀岡市と大阪府との県境の山間部に広がる地域で、山中に集落が点在する亀岡の秘境。
竜ヶ尾岳南山麓にある神原は、南北に伸びる谷間の集落で、北側には亀岡カントリークラブがあり、ゴルフ場と集落の間の山麓に当社は鎮座する。
創建年代は不詳。御祭神は大山祇命。亀岡開拓の時に出雲の神々が集合した場所だという。地名の神原はそれにちなむ。
大昔の亀岡盆地は大蛇が住む泥湖であったと言い伝えられている。霧の立ち上る湖が見渡せる高台に集まって、神々が湖水開削を相談した。
現在の高槻市に繁るカシの木で舟を作り、鋤や鍬で「諸田」の谷を切り開き、泥水を流し込んで現在の肥沃な亀岡盆地が生まれたという。
亀岡盆地が湖だったということに関する伝承は、下記の周辺各地に残る。
市内千歳町千歳の出雲大神宮、上矢田町の鍬山神社、大井町の大井神社、篠町山本の桑田神社、保津町立岩の請田神社、大阪府高槻市田能の樫船神社、所在不明の餅籠神社など。
もともとは伝承通り、見晴らしの良い山頂に鎮座していたが、いつの時代か、山麓の現在地に遷座したという。
山頂の旧地には「朝日輝き夕日照る所に黄金の鶏が埋めてある」という黄金伝説が伝わる。
現在は、山林・農耕の神として、また村の鎮守として崇敬されている。境内末社にいくつかの社殿があるが、詳細は不明。
境内の手水鉢は、江戸時代中期の享保15年(1730年)、石鳥居は享保16年(1731年)、石燈籠は江戸時代後期の文化5年(1808年)に寄進されたもの。
【ご利益】
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