江戸初期に外宮を勧請して創建、「今尾の左義長祭」は旧暦1月7日
[住所]岐阜県海津市平田町今尾3055-8
[電話]0584-66-2071

今尾神社(いまおじんじゃ)は、岐阜県海津市平田町今尾にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

江戸時代初期の慶長19年(1614年)、今尾の伊勢の神宮(伊勢神宮)神領に豊受大神宮(外宮)より豊受姫大神を勧請し、神明神社として創建された。

明治29年(1896年)、今尾の産土神とされる天津神社(天津大神。創建時期不明、郷社)が長良川、揖斐川の洪水で流出。御神体は無事で、当社に仮移設される。

昭和3年(1928年)、当社に天津神社が合祀され、この際、神明神社を地名により現社号に改称した。昭和9年(1934年)には社殿を改築した。

境内社に、昭和6年(1931年)創建の今尾護國神社、猿田彦神社、竹腰正信など今尾藩歴代藩主を祀る祖霊神社、宝暦治水で犠牲になった薩摩藩家老平田靱負及び薩摩藩士84名を祀る平田神社、稲荷神社がある。

境外社として、当社の御旅所でもある秋葉神社がある。

春の大祭は、「今尾の左義長祭」として知られ、大規模な左義長で、県重要無形民俗文化財に指定されている。

旧暦1月17日に行われる左義長で、各氏子組ごとに作り上げられる物は鼓型で、高さ6メートル、周囲6メートル、重さ2トンになる。使われる竹は1000本以上という。

この鼓型に、神宮大麻や当社、秋葉神社の神札を結び付け、正面には海老の飾り物をつけ、「和合楽」「自福円満楽」「家内長久」と大書した五色旗を立てる。

当日早朝、当社で神事が行われた後、御旅所の秋葉神社に左義長が各氏子の手で運ばれ、宮司の手から神前の灯明の火を取り継ぎ氏子が点火する。

火花が飛び散るこの周りを長襦袢、白足袋姿の若者が走り回る。7割が燃えたころに、その年の恵方の方位へ倒して吉凶を占う。

この残り火で焼いた餅を食べると無病息災という。

起源は不明だが、現存する記録で最古の物は江戸時代中期の明和4年(1767年)。この年に境外社の秋葉神社が創建されている。

ただし、左義長は秋葉神社創建以前より行われていたという。江戸時代後期の安政5年(1858年)、今尾藩9代藩主竹腰正富が倹約令により左義長を中止させた。

その後、今尾藩で大火が起きてしまい、このことから翌年には、火難災難厄除けの祭りとして再開された。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、無病息災
今尾神社 岐阜県海津市平田町今尾
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今尾神社 岐阜県海津市平田町今尾の御朱印