蘇我氏の本貫地候補、蘇我氏の祖神を祀る式内社、「入鹿宮」とも
宗我坐宗我都比古神社 奈良県橿原市曽我町1191
[住所]奈良県橿原市曽我町1191
[電話]0744-22-6058

宗我坐宗我都比古神社(そがにますそがつひこじんじゃ/そがにいますそがつひこじんじや/そがのそがつひこじんじゃ)は、奈良県橿原市曽我町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「宗我坐宗我都比古神社二座(大和国・高市郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では村社。

通称を「入鹿宮(いるかのみや)」とも。古代豪族の蘇我氏に関係する神社。

御祭神は、曾我都比古神(そがつひこのかみ、宗我都比古神)と曾我都比売神(そがつひめのかみ、宗我都比売神)。その木造神像2体を御神体に祀る。ただし、下記のように諸説ある。

蘇我氏は著名な氏族であるが、その本拠地(本貫)は不詳で、当社周辺もその候補の一つ。『紀氏家牒』で蘇我石河宿禰について「家二大和国高市県蘇我里一」とあり、特に有力視されている。

『延喜式』神名帳では2座とするが、これについて『五郡神社記』では、武内宿禰・石川宿禰とする。また、江戸時代前期の元禄年間(1688-1704年)頃の社記では、彦太忍信命・石河宿禰とする。

これらは、いずれも蘇我氏の遠祖とされる人物である。『五郡神社記』によれば、第33代推古天皇(在位:593年-628年)の時、蘇我馬子が武内宿禰と石川宿禰を祀る神殿を蘇我村に創建した。

一方で社伝によれば、第41代持統天皇(在位:690年-697年)が蘇我氏の滅亡を哀れみ、蘇我倉山田石川麻呂の次男である徳永内供に紀氏を継がせた。

それと同時に、内供の子の永末には祖神を祀るための土地を与えて社務・耕作を行わせたことをもって創建としている。

市内小綱町には入鹿神社がある。なお、当地一帯は、弥生時代から古墳時代前期の遺構である中曾司遺跡が広がることが知られ、境内付近でも多くの遺物の出土が見られている。

『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒によれば、当時の「宗我神」には神戸として大和国から3戸が充てられた。

この記載に基づいて、天平2年(730年)の『大倭国正税帳』に見える、大和国に神戸を有する神社39社のうちの1社を当社に比定する説もある。

国史では、天安3年(859年)における「宗我都比古神」の神階の従五位上への昇叙記事、および貞観6年(864年)における正五位下への昇叙記事が見える。

『大和志』によれば、近世には「入鹿宮」と称された。明治になり、明治40年(1907年)9月、村社に列した。

例祭は10月6日。6月中旬には天高市神社とともにさなぶり祭が斎行される。境内社に、稲荷神社・戎神社・八阪姫社がある。

【ご利益】
諸願成就、地域安全、家内安全
宗我坐宗我都比古神社 奈良県橿原市曽我町
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