縵連の氏神か、『三代実録』記載、中世の戦乱で衰微、牛頭天王社に
[住所]大阪府八尾市萱振町5-27
[電話]072-922-1913
加津良神社(かつらじんじゃ)は、大阪府八尾市萱振町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 若江郡「加津良神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
八尾北高校の南東の住宅地の中に鎮座している。本来の境内が道路で二分されている。一方は公園となっている。
縵連(かずらむらじ)の氏神とされるが、縵連は百済系と物部系の二系統あり、どちらかは特定できないという。
御祭神を加都良命とする説もある。播磨国多可郡に式内社「加都良乃命神社」があり、現在の加都良神社の御祭神は加都良乃命。関係があるかどうかは不明。
創建年代は不詳。天武天皇8年(679年)8月、鰻造忍勝が嘉禾(よきあは)を献ったという。
『日本三代実録』によれば、平安時代の貞観9年(867年)2月26日、官社となった。
南北朝時代になり、その争乱、畠山氏の内紛、河内門徒衆と戦国武将たちの戦乱のたびに、萱振城を中心とする当地を含め戦地になり、当社も何度か焼失したという。
それまでは広大な社地があったようで、現在も宮跡、神道森、鳥居、西松馬場などの地名が残っている。
その頃からか、当社は牛頭天王社を称すようになり、近代までずっと牛頭天王を祀る社だった。『河内名所図会』にも記載がある。
明治になり、明治5年(1872年)、村社に列し、御祭神は素盞鳴尊となり、現社号に改称した。
明治41年(1908年)4月15日、栗栖神社(現 八尾神社)に合祀されたが、旧地には社殿や御神体がそのまま残され、戦後になり独立して、単独の宗教法人となった。
例祭は10月10日。秋祭りで、ふとん太鼓やだんじりが出る。境内社に、琴比羅社(大物主命)・水分社(水分神)がある。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、地域安全
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・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
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加津良神社(かつらじんじゃ)は、大阪府八尾市萱振町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 若江郡「加津良神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
八尾北高校の南東の住宅地の中に鎮座している。本来の境内が道路で二分されている。一方は公園となっている。
縵連(かずらむらじ)の氏神とされるが、縵連は百済系と物部系の二系統あり、どちらかは特定できないという。
御祭神を加都良命とする説もある。播磨国多可郡に式内社「加都良乃命神社」があり、現在の加都良神社の御祭神は加都良乃命。関係があるかどうかは不明。
創建年代は不詳。天武天皇8年(679年)8月、鰻造忍勝が嘉禾(よきあは)を献ったという。
『日本三代実録』によれば、平安時代の貞観9年(867年)2月26日、官社となった。
南北朝時代になり、その争乱、畠山氏の内紛、河内門徒衆と戦国武将たちの戦乱のたびに、萱振城を中心とする当地を含め戦地になり、当社も何度か焼失したという。
それまでは広大な社地があったようで、現在も宮跡、神道森、鳥居、西松馬場などの地名が残っている。
その頃からか、当社は牛頭天王社を称すようになり、近代までずっと牛頭天王を祀る社だった。『河内名所図会』にも記載がある。
明治になり、明治5年(1872年)、村社に列し、御祭神は素盞鳴尊となり、現社号に改称した。
明治41年(1908年)4月15日、栗栖神社(現 八尾神社)に合祀されたが、旧地には社殿や御神体がそのまま残され、戦後になり独立して、単独の宗教法人となった。
例祭は10月10日。秋祭りで、ふとん太鼓やだんじりが出る。境内社に、琴比羅社(大物主命)・水分社(水分神)がある。
【ご利益】
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