大和川河床の船橋遺跡と関係か? 藤原系の黒田大連ゆかり
[住所]大阪府藤井寺市北条町1-23
[電話]072-939-6738

黒田神社(くろだじんじゃ)は、大阪府藤井寺市北條町にある神社。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 志紀郡「黒田神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

大和川南岸近くに鎮座する。現在でも広い境内地を持つ。大和川河床の船橋遺跡の南の位置し、付近からは弥生土器が出土する。

古代ここに住み着いた渡来人「呉人」の田が、黒田に転訛したとの説がある。

古伝には、初代神武天皇の御子である神八井耳命のかくし廟所といわれ、第16代仁徳天皇の御代に瑞垣を建立し、祭祀されたという。

現在の御祭神である天御中主大神は、奈良時代の神護景雲2年(768年)に祭祀されたという。周辺地域で天御中主大神を祀るのは珍しいという。

他に、天照皇大神武甕槌神経津主神天児屋根命・比咩大神を祀る。

藤原氏系の春日神は、後の勧請というよりは、藤原氏の祖に黒田大連がおり、第21代雄略天皇の御代に但馬国造を務めた。当社はその黒田大連ゆかりとも。

その後裔は、奈良時代の和銅年間(708年-715年)には長浜・木之本の地を開拓し、黒田郷として繁栄させたという。

中世からは北条天神あるいは天王と称した。『神名帳考証』には稲霊を祀るとある。

南北朝時代の建徳3年(1372年)寄進の石燈籠一基がある。また、かつて境内地は5000坪以上を有し、梅の名所として『河内鑑名所記』に俳句が残されている。

もとは現在の大和川の右岸に鎮座していたが、江戸時代中期の宝永元年(1704年)に大和川が造営されると、北条村の村地が大きく削られた。

当社の氏地も新大和川に分断されて縮小したという。

明治5年(1872年)、村社に列し、旧柏原村市村新田の柏原地区・北条地区・林地区の産土神として崇敬されている。

明治40年(1907年)には、やはり式内社である志疑神社を合併した。志疑神社は、志貴県主神社とともに、当社もゆかりの神八井耳命と関連がある。

戦後、志疑神社は分離独立して、旧地に復社した。

昭和44年(1969年)10月、御分霊を柏原市今町塩殿神社に同市上市春日神社とともに合祀し、当社の分社として柏原黒田神社を奉斎した。

現在当社は、志疑神社とともに、柏原黒田神社の兼務神社になっている。当社の御朱印も、柏原黒田神社で頂ける。

末社の御祭神として、天押雲根大神・稲荷大神・八幡大神・恵美須大神を祀る。

例祭は7月17日と10月9日。夏祭りと秋祭りで、だんじりの巡行、出店などがある。

なお、所在地の町名は北条町と記載される場合もあるが、北條町が正式か。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、五穀豊穣、地域安全
黒田神社 大阪府藤井寺市北条町
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黒田神社 大阪府藤井寺市北条町の御朱印