戦国期創建、江戸前期までに社殿建立、旧御嶽社、境外に瘡守稲荷
[住所]東京都世田谷区瀬田4-11-31
[電話]03-3700-3829
瀬田玉川神社(せたたまがわじんじゃ)は、東京都世田谷区瀬田にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)、当地の下屋敷に創建されたが、江戸時代初期の寛永3年(1626年)、長崎四郎左衛門嘉国が寄進して現在地に移転した。
御祭神は、大己貴命・日本武尊・少彦名命。
江戸時代前期の元禄8年(1695年)9月、長崎四郎左衛門嘉満と又四郎嘉包が、子孫の長久繁栄を祈願して、拝殿一宇を造営した。
別当は真言宗慈眼寺。国分寺崖線上の高いところにあることから、長らく御嶽神社(みたけじんじゃ)と呼ばれていた。
明治7年(1874年)、村社に列し、明治41年(1908年)には八幡社、熊野社、大神宮(天祖社)、六所宮などを合祀して玉川神社に改称した。
後に瀬田玉川両地区の氏神となったため、現社号に改称した。大正3年(1914年)、社殿が改築され、大正12年(1923年)の関東大震災で被害が出たため、補修された。
境内には樹齢700-800年の大きな黒松があり、都の天然記念物に指定されたが、昭和41年(1966年)9月の台風26号で折れた。
これを機に昭和43年(1968年)に社殿と社務所が再建された。祭礼は10月20日の例大祭、11月28日新嘗祭、2月20日祈年祭。例大祭は現在、10月第三土・日曜日。
境内社に、祓戸神社・三峯神社がある。飛地境内末社として、当社から北に300メートルほど、瀬田4丁目の一角に稲荷神社がある。境内は公園になっている。
瘡守稲荷神社とも呼ばれるこの稲荷は、かつては正一稲荷様とも呼ばれ、二子玉川に遊廓が増え伝染病が広がった頃に病気治癒を願って創建されたという。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、病気平癒、旅行・交通安全(公式HP)

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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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瀬田玉川神社(せたたまがわじんじゃ)は、東京都世田谷区瀬田にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)、当地の下屋敷に創建されたが、江戸時代初期の寛永3年(1626年)、長崎四郎左衛門嘉国が寄進して現在地に移転した。
御祭神は、大己貴命・日本武尊・少彦名命。
江戸時代前期の元禄8年(1695年)9月、長崎四郎左衛門嘉満と又四郎嘉包が、子孫の長久繁栄を祈願して、拝殿一宇を造営した。
別当は真言宗慈眼寺。国分寺崖線上の高いところにあることから、長らく御嶽神社(みたけじんじゃ)と呼ばれていた。
明治7年(1874年)、村社に列し、明治41年(1908年)には八幡社、熊野社、大神宮(天祖社)、六所宮などを合祀して玉川神社に改称した。
後に瀬田玉川両地区の氏神となったため、現社号に改称した。大正3年(1914年)、社殿が改築され、大正12年(1923年)の関東大震災で被害が出たため、補修された。
境内には樹齢700-800年の大きな黒松があり、都の天然記念物に指定されたが、昭和41年(1966年)9月の台風26号で折れた。
これを機に昭和43年(1968年)に社殿と社務所が再建された。祭礼は10月20日の例大祭、11月28日新嘗祭、2月20日祈年祭。例大祭は現在、10月第三土・日曜日。
境内社に、祓戸神社・三峯神社がある。飛地境内末社として、当社から北に300メートルほど、瀬田4丁目の一角に稲荷神社がある。境内は公園になっている。
瘡守稲荷神社とも呼ばれるこの稲荷は、かつては正一稲荷様とも呼ばれ、二子玉川に遊廓が増え伝染病が広がった頃に病気治癒を願って創建されたという。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、病気平癒、旅行・交通安全(公式HP)

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