平安初期の創祀、源頼義・義家・頼朝も祈願、明治天皇行幸史跡
[住所]東京都新宿区高田馬場1-12-6
[電話]03-3209-3835

諏訪神社(すわじんじゃ)は、東京都新宿区高田馬場にある神社。近代社格では村社。新宿諏訪神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。菊花紋入りのオリジナル御朱印帳がある。

創建は平安時代前期の弘仁年間(810年-820年)、小野篁が大国主神事代主命を奉斎したことに始まるという。

当初は社地が松原街道に接していたことから、松原神社と称された。承和年間(834年-848年)、空海の弟である真雅僧正が再営したという。

永承年間(1046年-1053年)、源頼義・義家父子が前九年の役の折、当社に戦勝を祈願し、乱平定後に武器を奉納したという。

また、鎌倉時代初期の文治5年(1189年)、源頼朝が藤原泰衡討伐の際に戦勝祈願し、凱陣の後に社殿を造営、境内に頼義・義家父子を祀って白旗社と称した。

建長6年(1254年)、鎌倉幕府第5代執権北条時頼により厳島神社が境内に奉斎されたが、後に本社に合祀したという。

室町時代の応仁3年(1469年)春、太田道灌が社殿を再営したが、後に焼失。

江戸時代に入り、徳川家康の九男で、尾張藩初代藩主となる徳川義直が信濃国の諏訪神武御名方命)を勧請・合祀し、現社号に改称した。

また、後水尾天皇が当社に御神体を奉納したという。

寛永年間(1624年-1644年)、3代将軍徳川家光が社殿を造営、4代将軍家綱が鷹狩りの手鷹を奉納、以降老鳥は代々当社へ奉納することになった。

江戸時代中期の明和年間(1764年-1772年)、10代将軍徳川家治が鷹狩りの際に参詣、当社の御分霊を江戸城内の紅葉山と浜離宮の吹上御殿に勧請した。

江戸時代後期の安政3年(1856年)、境内に末社として祀られていた天祖神社・八幡神社・阿多古神社・住吉神社・琴平神社・北野神社・須賀神社・白旗神社・白鳥神社・御霊神社が嵐で破損したため、本殿に合祀された。

明治15年(1882年)11月、明治天皇が行幸し、新設された諏訪森近衛射的場において射的砲術天覧後、当社で神酒と鴨を奉納した。

これにより社殿に菊の御紋がつけられるようになった。また、昭和18年(1943年)には都の行幸史蹟に指定された。

戦後、昭和49年(1974年)から社殿など境内各施設の再造営が行われ、昭和55年(1980年)に現社殿が完成した。

例祭は8月27日。夏祭りで、境内には露店が出る他、里神楽が奉納される。

大鳥居をくぐると左手に手水舎がある。汲み出されている水は、古くより眼病や諸病に霊験有りとされる霊水。

境内社に、御嶽神社(大物主命太玉命)と稲荷神社(受保ノ神)がある。他に、庚申塔や、区内唯一現存する区登録有形民俗文化財「塞神三柱の塔」がある。

【ご利益】
病気平癒、商売繁盛、武運長久・勝運(公式HP
諏訪神社 東京都新宿区高田馬場
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諏訪神社 東京都新宿区高田馬場の御朱印