伊居太古墳の上、もとは坂合部連が祖神を奉斎、10月にふとん太鼓
伊居太神社 兵庫県尼崎市下坂部4-13-26
[住所]兵庫県尼崎市下坂部4-13-26
[電話]06-6491-2039

伊居太神社(いこたじんじゃ)は、兵庫県尼崎市下坂部にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 河辺郡「伊居太神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創建年代は不詳。全長約92メートル、後円部径約53メートルの前方後円墳である伊居太古墳の上に鎮座する。この古墳は市内最大のもの。

坂合部連が祖神を祀ったものと考えられる。『新撰姓氏禄』には「摂津国皇別、坂合部、大彦命之後也、允恭天皇御世、造立国境之標、因賜姓坂合部連」とある。

もとの御祭神は坂合部大彦命か。その後、藤原氏が当地を支配するに及んで、春日神が勧請されたと考えられている。

現在の御祭神は、武甕槌神天児屋根命経津主神・姫大神。相殿に市杵島姫命を祀る。

古老の伝承によれば、その昔、大和春日大社より神の使者、白い神鹿が当社に到来したという。昔は春日大社と、深い関わりをもっていたという。

式内論社は、他に、大阪府池田市の同名神社がある。『摂津志』はこの池田市のものを式内社比定し、『大阪府全志』もそれを引き継ぐ。

一方、『兵庫縣神社誌』は、池田市のものは呉織里の呉織祠であり、いつの時代から、式内社と混称されたものであり、当社が式内社だとする。

江戸時代になり、尼崎藩主が青山氏となった時期には、当社が崇敬されたという。青山氏は藤原北家花山院流であり、藤原氏つながり。

明治になり、村社に列し、明治37年(1904年)、氏子の浄財で旧社殿が、改築された。

明治42年(1909年)、巌島神社(市杵島姫命)、皇太神宮援拝所(旧大将軍)を摂社に祀った。

その頃から始まった当地域区画整理の進行にともなって、現在のような四面道路に囲まれた境内となった。

平成7年(1995年)1月17日未明に発生した阪神淡路大震災により、甚大な被害を受けたものの、その後復興した。

例祭は10月9日。秋季例大祭、あるいは秋例大祭とも呼ばれ、町会ごとにふとん太鼓が宮入りし、祭事後に地域を3台のふとん太鼓が巡行して、大祭を盛り上げる。

伊居太古墳からは、埴輪片、土師器片、須恵器片などが検出されている。また、鏡や鉄剣が出土したとも伝えられる。

前方南側には、サムライ塚、白馬塚と呼ばれる、陪塚とされる2基の小墳丘があった。周辺には若王子遺跡や下阪部遺跡があり、古代の繁栄ぶりがうかがえる。

【ご利益】
家内安全、開運招福
伊居太神社 兵庫県尼崎市下坂部
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