奈良時代の幕開け、和銅改元と和同開珎鋳造の契機となった金運神社
[住所]埼玉県秩父市黒谷字菅仁田2191
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聖神社(ひじりじんじゃ)は、埼玉県秩父市黒谷菅仁田にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

秩父盆地の中央部やや北寄りにそびえる簑山から、南西にかけて延びた支脈である和銅山山麓に鎮座する。

簑山を水源とする川が流下する社前は、和銅沢(旧称 銅洗沢)と称されている。

奈良時代草創期の慶雲5年(708年)、当社地の近くで自然銅が発見され、和銅改元と和同開珎鋳造の契機となった神社とされる。

和同開珎ゆかりの「銭神様」として崇敬され、現在は、金運隆昌の御利益があるとされ、「宝くじ」などを持参すれば祈願してくれるとも。

拝殿向かって右手に安置されている、和同開珎モニュメントが当社の象徴。

実際に自然銅が採掘されたという「和銅採掘露天掘跡」へは当社から徒歩約15分。別世界の自然に目が、本物の鳥の歌声に耳が癒され、マイナスイオンに心も体も癒されると評判。

そこには、拝殿前のよりも一回り大きな高さ5メートルの和同開珎モニュメントがある。

社伝によれば、当地では自然銅の発見を祈念して和銅沢上流の祝山(はうりやま)に神籬を建て、この自然銅を御神体として金山彦命を祀ったのが創祀。

銅の献上を受けた朝廷も銅山の検分と銅の採掘・鋳造を監督させるため、三宅麻呂らを勅使として当地へ派遣、盛大な祝典を挙げた。

その後、和銅元年(708年)2月13日に清浄な地として現社地へ神籬を遷し、採掘された和銅13塊を内陣に安置し、金山彦命に加え、国常立尊大日孁貴尊神日本磐余彦命を奉斎した。

同時に、三宅麻呂が天皇から下賜され帯同した銅製の百足雌雄1対を納めた。後に元明天皇を元明金命として合祀し、「父母惣社」と称したという。

なお、これら御神宝は長らく北谷戸家の土蔵で保管され、昭和28年(1953年)の元明天皇合祀1230年祭と神寶移還奉告祭の際に当社宝蔵庫に移還された。

13塊あった和銅で現存するのは2塊のみという。平成20年(2008年)1月11日には、和銅奉献1300年を祝う「和銅祭」が斎行された。

例祭は4月13日。元禄年間(1688年-1704年)から続くとされる「黒谷の雨乞ササラ」と呼ばれる獅子舞が奉納される。

「黒谷の雨乞ササラ」は、この春季大祭の他に、境内社である和銅出雲神社の11月3日の例祭にも奉納される。市指定無形民俗文化財。

なお、黒谷の上郷には当社と御祭神を同じくして和銅年間に創建されたと伝える上社が鎮座し、姉社とも呼ばれる中社も現存する。

現在の本殿は、江戸時代中期の宝永6年(1709年)から翌7年にかけ、市内中町の今宮神社の本殿として建立されたものを移築したもの。市指定有形文化財。

和銅出雲神社の本殿は、文化4年(1807年)に竣工した旧本殿を移築したもので、一間社流造銅板葺、向拝中央に唐破風、脇障子に彫刻を飾る。

他の境内社に、八坂神社・山神社がある。

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聖神社 埼玉県秩父市黒谷菅仁田
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