全国唯一のコウノトリ伝承ある式内社、平成の世にも奇跡、子宝御守
[住所]兵庫県豊岡市下宮318-2
[電話]0796-32-2494 - 四所神社
久久比神社(くくひじんじゃ)は、兵庫県豊岡市下宮にある神社。京都丹後鉄道宮豊線のコウノトリの郷駅(但馬三江駅)の北東約1キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「久久比神社(但馬国・城崎郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
『古事記』にも似た話を載せるが、『日本書紀』によれば、第11代垂仁天皇23年冬10月朔、天皇が誉津別皇子をともない大殿の前に立ち給う時、鵠(くぐい)が大空を鳴き渡った。
その時、皇子が「これは何物ぞ」と問うたので、天皇は大いに喜んだ。時に皇子は30歳だったが、いまだ物言わず、この日初めて人並みの言葉を発したのだった。
天皇は左右の臣に「誰かこの鳥を捕らえて献上せよ」と命じた。天湯河板挙が「臣、必ず捕らえて献上いたします」と奏した。
そこで天湯河板挙は、この大鳥が飛び行く国々を追ってめぐり、出雲国で捕らえた、あるいは但馬国で捕らえたともいう。11月朔、天湯河板挙はめでたくこの鵠を献上した。
これほどに鵠は霊鳥なのでその棲家の地を久久比(くくひ)と呼び、その後この地に宮を建て、木の神である久々能智神を奉斎した。これが当社の創始である。
鵠=久久比でコウノトリ、御祭神もこの音に通ずるものがある。そのため、全国で唯一コウノトリにゆかりのある神社とされる。
コウノトリをデザインした御守り(赤・緑・紫)が、子宝、安産祈願の御守りとして有名。
平成17年(2005年)9月、人工飼育した国の特別天然記念物コウノトリを自然界に返す放鳥式典が行われた。
その手で放たれた秋篠宮夫妻が翌年の歌会始の儀で、その様子を詠み、直後に紀子妃殿下の懐妊が判明。翌年には悠仁親王が誕生した。
当社の御祭神は大売布命、物部韓国連命の末裔で、第40代天武天皇の白凰3年(674年)に城崎郡司となった久々比命だとも。
久々比命は重浪神社で祀られている神津主命の子で、第42代文武天皇の大宝元年(701年)に死去。三江村に葬り、その霊を三江村に祀ったと伝わる。
本殿は三間社流造、こけら葺き。室町時代の永正4年(1507年)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されている。
境内社に、八幡社(事代主命)・三柱社(少彦名命)・稲荷社(保食神)がある。
なお、『古事記』においては、コウノトリではなく白鳥であり、捕まえた場所も越の国で、和那美之水門(和那美の水門、わなみのみなと)とされている。
【ご利益】
子宝・安産、子育て(公式HP)
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・兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
[電話]0796-32-2494 - 四所神社
久久比神社(くくひじんじゃ)は、兵庫県豊岡市下宮にある神社。京都丹後鉄道宮豊線のコウノトリの郷駅(但馬三江駅)の北東約1キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「久久比神社(但馬国・城崎郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
『古事記』にも似た話を載せるが、『日本書紀』によれば、第11代垂仁天皇23年冬10月朔、天皇が誉津別皇子をともない大殿の前に立ち給う時、鵠(くぐい)が大空を鳴き渡った。
その時、皇子が「これは何物ぞ」と問うたので、天皇は大いに喜んだ。時に皇子は30歳だったが、いまだ物言わず、この日初めて人並みの言葉を発したのだった。
天皇は左右の臣に「誰かこの鳥を捕らえて献上せよ」と命じた。天湯河板挙が「臣、必ず捕らえて献上いたします」と奏した。
そこで天湯河板挙は、この大鳥が飛び行く国々を追ってめぐり、出雲国で捕らえた、あるいは但馬国で捕らえたともいう。11月朔、天湯河板挙はめでたくこの鵠を献上した。
これほどに鵠は霊鳥なのでその棲家の地を久久比(くくひ)と呼び、その後この地に宮を建て、木の神である久々能智神を奉斎した。これが当社の創始である。
鵠=久久比でコウノトリ、御祭神もこの音に通ずるものがある。そのため、全国で唯一コウノトリにゆかりのある神社とされる。
コウノトリをデザインした御守り(赤・緑・紫)が、子宝、安産祈願の御守りとして有名。
平成17年(2005年)9月、人工飼育した国の特別天然記念物コウノトリを自然界に返す放鳥式典が行われた。
その手で放たれた秋篠宮夫妻が翌年の歌会始の儀で、その様子を詠み、直後に紀子妃殿下の懐妊が判明。翌年には悠仁親王が誕生した。
秋篠宮殿下現在も、主に9月から翌年の5月の休耕期になると、隣接する湿地にコウノトリが飛来する。一方で、当社は物部の系譜に連なる社との説もある。
人々が 笑みを湛へて 見送りし こふのとり今 空に羽ばたく
紀子妃殿下
飛びたちて 大空にまふ こふのとり 仰ぎてをれば 笑み栄えくる
当社の御祭神は大売布命、物部韓国連命の末裔で、第40代天武天皇の白凰3年(674年)に城崎郡司となった久々比命だとも。
久々比命は重浪神社で祀られている神津主命の子で、第42代文武天皇の大宝元年(701年)に死去。三江村に葬り、その霊を三江村に祀ったと伝わる。
本殿は三間社流造、こけら葺き。室町時代の永正4年(1507年)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されている。
境内社に、八幡社(事代主命)・三柱社(少彦名命)・稲荷社(保食神)がある。
なお、『古事記』においては、コウノトリではなく白鳥であり、捕まえた場所も越の国で、和那美之水門(和那美の水門、わなみのみなと)とされている。
【ご利益】
子宝・安産、子育て(公式HP)
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