左遷の際に道真が上陸して詠じた地、兵庫七福神の布袋、夫婦いちょう
柳原天神社 兵庫県神戸市兵庫区東柳原町1-12
[住所]兵庫県神戸市兵庫区東柳原町1-12
[電話]078-651-1283

柳原天神社(やなぎはらてんじんしゃ)は、兵庫県神戸市兵庫区東柳原町にある神社。近代社格では村社。正式には天神社のみで、兵庫七福神の布袋。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代の延喜元年(901年)、菅原道真が大宰府へ左遷される途次、大和田泊に上陸し、真野ケ原一帯の梅花を賞で、次の歌を詠んだ。
風さむみ 雪にまかへて 吠く花の 柚にそうつれ 匂ふ梅が香
道真の死から2年後となる延喜5年(905年)6月、里人が道真の遺徳を偲び、梅林を拓いて小祠が建立された。これが当社の創祀となる。

仁安2年(1167年)、太宰府安楽寺の菅公廟より御分霊を迎えた。

平安時代末期の寿永年間(1182年-1183年)、平忠度が戦勝を祈願して「大神画像」を奉納した。

鎌倉時代、時宗の遊行上人2世である他阿(1237年-1319年)が満福寺を建立し、以後、明治維新まで僧侶が奉仕した。

また、正応2年(1289年)には、真光寺中興の一遍が別当となり、拝殿・絵馬堂を増築した。

南北朝時代初期の延元元年(1336年)、新田義貞が武運長久を祈り、豊後國行の銘刀を奉納した。

安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)、摂津伊丹城主の荒木村重が國次の短刀を奉納。

江戸時代になり、その中期の明和9年(1772年)、前権大納言の藤原定福が拝殿の柱懸双聯を奉納した。

明治になり、神仏判然令により寺から独立、明治6年(1873年)8月、村社に列した。明治45年(1912年)3月27日には神饌幣帛料供進社に指定された。

昭和20年(1945年)3月、神戸大空襲により全焼。昭和33年(1958年)になって再建された。

同じく兵庫七福神の蛭子である柳原蛭子神社と近く、その十日えびす大祭(1月9日-11日)においては、やはり至近の大黒天である福海寺と、えびす・だいこく・ほてい(当社)の三寺社巡りができる。

境内には夫婦いちょうの御神木がある。縁結び、夫婦円満、子宝、良縁のご利益があるとされる。

こじんまりとした境内だが、地元ではパワースポットとして根強い人気があり、崇敬されている。

【ご利益】
学業・受験合格、病気平癒、商売繁盛
柳原天神社 兵庫県神戸市兵庫区東柳原町
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