上賀茂を勧請、古くから鎮座で村名となった加茂宮村の鎮守大明神
[住所]埼玉県さいたま市北区宮原町4-8-1
[電話]048-641-0137 - 氷川神社
加茂神社(かもじんじゃ)は、埼玉県さいたま市北区宮原町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 足立郡「足立神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創建年代は不詳。山城国一宮の賀茂別雷神社(上賀茂神社)を勧請したものと伝える。御祭神は、別雷命。
『新編武蔵風土記稿』によれば、「昔より加茂社の建る地なれば、ただちに村名とす」とある。旧加茂宮村を縦貫する中山道の側に鎮座する。
安土桃山時代の天正10年(1582年)の『成田分限帳』に「三十六貫文武州加茂宮多門兵衛」とある。
江戸時代後期の浮世絵師、渓斎英泉(1790年-1848年)が描いた『木曾街道上尾宿』では、緑深い森の中から「加茂大明神」の幟旗が掲げられている。
『新編武蔵風土記稿』では、当社を式内社とする説があると紹介しつつも、正しき証左なしと否定している。
式内社「足立神社」の論社は他に、市内西区飯田と浦和区上木崎の式内同名神社、鴻巣市笠原の久伊豆社がある。
別当は、真言宗吉祥院で、雙樹山大恵寺と号す。本尊は薬師如来像。江戸期を通じて、当社は「加茂之社」と称したという。
参勤交代で、加賀の堀丹波守が中山道を往来した際、その妻女がにわかに産気を催したので、当社に立寄り、祈願した。
そのため、産気が治まり無事国許に帰着の後、玉の如き男子の出生を見たという。安産御礼のため奉納したという幣帛が現存する。
「加賀の堀丹波守」は不詳。越後村松藩5代藩主に丹波守の堀直堯(1717年-1785年)がいる。
境内にある江戸時代後期の文政10年(1827年)8月の石灯籠には、「御遷宮本社再建立」とある。
『明細帳』によると、明治6年(1873年)4月、村社に列した。
明治40年(1907年)5月、大字加茂宮字中道の無格社稲荷社、字鍛冶の無格社稲荷社、字四分一の無格社稲荷社・同境内社稲荷熊野合社、字中島の無格社稲荷社、字構の無格社天神社を合祀。
明治41年(1908年)7月、字原殿の無格社稲荷社を合祀した。現在までに、倉稲魂命・伊弉諾命・伊弉冉命・菅原道真をも祀る。
大正8年(1919年)10月、拝殿は焼失したが本殿の類焼は免れた。
本殿は一間社流造り、壁面には賀茂雷神社の神事である「競べ馬」の図が彫られている。
境内社に、伊弉諾命・伊弉冉命を祀る三峯神社があり、「天王さま」素盞嗚尊を祀る神輿殿があって、神輿に納められている。
例祭は10月5日。7月10日が夏祭で、祇園祭・天王様。3月の初午が春祭で祈年祭と初午祭が斎行される。
【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、安産
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・埼玉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、埼玉県に鎮座している神社の一覧
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加茂神社(かもじんじゃ)は、埼玉県さいたま市北区宮原町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 足立郡「足立神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創建年代は不詳。山城国一宮の賀茂別雷神社(上賀茂神社)を勧請したものと伝える。御祭神は、別雷命。
『新編武蔵風土記稿』によれば、「昔より加茂社の建る地なれば、ただちに村名とす」とある。旧加茂宮村を縦貫する中山道の側に鎮座する。
安土桃山時代の天正10年(1582年)の『成田分限帳』に「三十六貫文武州加茂宮多門兵衛」とある。
江戸時代後期の浮世絵師、渓斎英泉(1790年-1848年)が描いた『木曾街道上尾宿』では、緑深い森の中から「加茂大明神」の幟旗が掲げられている。
『新編武蔵風土記稿』では、当社を式内社とする説があると紹介しつつも、正しき証左なしと否定している。
式内社「足立神社」の論社は他に、市内西区飯田と浦和区上木崎の式内同名神社、鴻巣市笠原の久伊豆社がある。
別当は、真言宗吉祥院で、雙樹山大恵寺と号す。本尊は薬師如来像。江戸期を通じて、当社は「加茂之社」と称したという。
参勤交代で、加賀の堀丹波守が中山道を往来した際、その妻女がにわかに産気を催したので、当社に立寄り、祈願した。
そのため、産気が治まり無事国許に帰着の後、玉の如き男子の出生を見たという。安産御礼のため奉納したという幣帛が現存する。
「加賀の堀丹波守」は不詳。越後村松藩5代藩主に丹波守の堀直堯(1717年-1785年)がいる。
境内にある江戸時代後期の文政10年(1827年)8月の石灯籠には、「御遷宮本社再建立」とある。
『明細帳』によると、明治6年(1873年)4月、村社に列した。
明治40年(1907年)5月、大字加茂宮字中道の無格社稲荷社、字鍛冶の無格社稲荷社、字四分一の無格社稲荷社・同境内社稲荷熊野合社、字中島の無格社稲荷社、字構の無格社天神社を合祀。
明治41年(1908年)7月、字原殿の無格社稲荷社を合祀した。現在までに、倉稲魂命・伊弉諾命・伊弉冉命・菅原道真をも祀る。
大正8年(1919年)10月、拝殿は焼失したが本殿の類焼は免れた。
本殿は一間社流造り、壁面には賀茂雷神社の神事である「競べ馬」の図が彫られている。
境内社に、伊弉諾命・伊弉冉命を祀る三峯神社があり、「天王さま」素盞嗚尊を祀る神輿殿があって、神輿に納められている。
例祭は10月5日。7月10日が夏祭で、祇園祭・天王様。3月の初午が春祭で祈年祭と初午祭が斎行される。
【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、安産
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