東堤古墳群に属する墳丘上に鎮座、式内・今木青坂稲実荒御魂神社の論社
[住所]埼玉県児玉郡上里町堤1204
[電話]0495-33-6697 - 菅原神社
熊野神社(くまのじんじゃ)は、埼玉県児玉郡上里町堤にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 賀美郡「今城青坂稲実荒御魂神社(武蔵国・賀美郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
創祀年代は不詳。御祭神は、竒御木野命(神祖熊野大神櫛御気野命)・竒稲多姫命・豊受姫命の3柱。
『新編武蔵風土記稿』堤村の項に「熊野社 鎮守とす、東昌院持、相伝て延喜式神名帳に載る所の今木青坂稲実荒御魂神社なりといへど、証となすべきことなし」とある。
あるいは当社境内社に式内社「今城青坂稲実荒御魂神社」があるともいわれるが、不詳。
付近からは、平安時代の住居跡が検出されており、当社も東堤古墳群に属する墳丘上に鎮座している。相当な古社あることが指摘される。
堤は、江戸時代の初期までに開発された村で、正保2年(1645年)の本庄市中原歌子家蔵『国絵図』によれば、当時の村高は379石、家数は36軒。
江戸時代に当社は、「熊野皇太神社」と称していたという。
別当だった東昌院は、『児玉郡誌』によれば、本山派の修験で、幸手不動院の配下として当地方の修験道の年中行事職を務めていたという。
この東昌院は、神仏分離によって廃寺となり、当社から東へ約2キロ離れた石蔵寺の脇に、その跡地がある。
例祭は10月19日で秋祭り。
現在までに、倉稲魂命・菅原道真・少彦名命・多紀理毘売命・狹依毘売命・多岐都毘売命・天之穗日命・火産霊命・伊弉冉命・天津日子根命・天照大御神・河菜姫命・表筒男命・中筒男命・底筒男命・菊理媛命・伊弉諾命を併せて祀るという。
なお、式内社「今城青坂稲実荒御魂神社」の論社は他に、長幡部神社、長幡部神社に合祀、及びその古社地、七本木神社に合祀の榛名宮神社、阿保神社がある。
【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、夫婦和合
【関連記事】
・埼玉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、埼玉県に鎮座している神社の一覧
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熊野神社(くまのじんじゃ)は、埼玉県児玉郡上里町堤にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 賀美郡「今城青坂稲実荒御魂神社(武蔵国・賀美郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
創祀年代は不詳。御祭神は、竒御木野命(神祖熊野大神櫛御気野命)・竒稲多姫命・豊受姫命の3柱。
『新編武蔵風土記稿』堤村の項に「熊野社 鎮守とす、東昌院持、相伝て延喜式神名帳に載る所の今木青坂稲実荒御魂神社なりといへど、証となすべきことなし」とある。
あるいは当社境内社に式内社「今城青坂稲実荒御魂神社」があるともいわれるが、不詳。
付近からは、平安時代の住居跡が検出されており、当社も東堤古墳群に属する墳丘上に鎮座している。相当な古社あることが指摘される。
堤は、江戸時代の初期までに開発された村で、正保2年(1645年)の本庄市中原歌子家蔵『国絵図』によれば、当時の村高は379石、家数は36軒。
江戸時代に当社は、「熊野皇太神社」と称していたという。
別当だった東昌院は、『児玉郡誌』によれば、本山派の修験で、幸手不動院の配下として当地方の修験道の年中行事職を務めていたという。
この東昌院は、神仏分離によって廃寺となり、当社から東へ約2キロ離れた石蔵寺の脇に、その跡地がある。
例祭は10月19日で秋祭り。
現在までに、倉稲魂命・菅原道真・少彦名命・多紀理毘売命・狹依毘売命・多岐都毘売命・天之穗日命・火産霊命・伊弉冉命・天津日子根命・天照大御神・河菜姫命・表筒男命・中筒男命・底筒男命・菊理媛命・伊弉諾命を併せて祀るという。
なお、式内社「今城青坂稲実荒御魂神社」の論社は他に、長幡部神社、長幡部神社に合祀、及びその古社地、七本木神社に合祀の榛名宮神社、阿保神社がある。
【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、夫婦和合
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