御神体の神代石に「延喜式内」「今城青坂神」、中岩道純の崇敬
天神社 埼玉県児玉郡上里町五明871
[住所]埼玉県児玉郡上里町五明871
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天神社(てんじんしゃ)は、埼玉県児玉郡上里町五明にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 賀美郡「今城青八坂稲実神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。上里サービスエリア南西に接して鎮座する。今城青八坂稲実の式内三社の一つとされる。

「いまき」が「今来」で新米の者、つまり渡来系氏族をあらわし、渡来系氏族が当地に高度な稲作技術を導入し、「稲魂」を祀る神社を建立したのが、「稲実」だとされる。

御神体の、高さ67センチ、太さ13.5センチの安山岩である神代石には「えむぎしきない」「いまきあおやさかのかみ」と刻まれている。

つまり、「延喜式内」「今城青坂神」。これが式内社としての大きな根拠となっている。境内は古くから「今城林」と呼ばれていた。

御祭神は、和産霊神豊受気毘売神大山祇命日本武尊の4柱。

天正10年(1582年)6月、神流川の戦いにおいて、滝川一益が当地に陣を転じ、大いに勝利したと伝えられ、転陣林との名称が生まれた。

現在の社殿は、江戸時代中期の享保7年(1722年)の再建で、江戸時代後期の天保年間(1830年-1844年)に書かれた中岩満次郎道純の祈願書が残されている。

中岩道純は江戸時代後期の交代寄合旗本。家紋である中黒紋の付いた幕と高張提灯を当社に寄進している。

江戸期から現社号で呼ばれてきた。村の鎮守として、別当寺は大輻寺。明治になり、寺の管理から離れた。

明治5年(1872年)、村社に列し、明治10年(1877年)に白山神社を、明治42年(1909年)に丹生神社を若宮より遷し、合祀した。

大正8年(1919年)2月3日、神饌幣畠料供進社に指定された。

例祭は10月19日で秋祭り。当社には神楽が伝承されていたが、現在は中断されている。

境内社に、諏訪神社・稲荷神社・八坂神社・市杵島神社がある。

式内社「今城青八坂稲実神社」の論社は他に、神川町八日市の熊野神社、元阿保の阿保神社、上里町長浜の長幡部神社、長幡部神社に合祀、及びその古社地七本木神社に合祀の榛名宮神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、家内安全
天神社 埼玉県児玉郡上里町五明
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