神功皇后ゆかりの和田岬、もとは海上安全の雪気神、式外・国史見在社
[住所]兵庫県神戸市兵庫区和田宮通3-2-51
[電話]078-671-2531

三石神社(みついしじんじゃ)は、兵庫県神戸市兵庫区和田宮通にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

鎮座地である和田岬は、神功皇后摂政元年、皇后が三韓征伐からの凱旋の帰途上陸し、三つの石を立てて神占いをした結果、廣田生田長田住吉の神々をその地に祀らしめた儀式の地である。

その後、飛鳥時代の第33代推古天皇10年(602年)、天皇がこの地に行幸、禊ぎをしたので、祓殿塚と呼ばれるようになり、玉座とした石を三石といった。

奈良時代の天平年間(729年-749年)、僧行基が務古の水門である和田泊を興した時、神功皇后の神霊が現れ、往来の船を守らんとすという神託を受けた。

そこで、祓殿の旧跡に祠を建て、大輸田泊の鎮護とし、神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)とした。

『日本三代実録』貞観元年(859年)条によれば、「雪氣神」として、従五位下の神階を授けられた。

『延喜式神名帳』に記載はないものの、それに先行する国史に記載のある式外の国史見在社

平安時代末期、西宮の廣田・西宮・南宮の三社の祭礼で、その御神幸が和田岬まで行ったことの記録が西宮神社に残っている。

その時祓殿のことが記され、また三社の御神輿を奉安した三つ石が描かれている。ちなみに、南宮は、廣田神社の境外摂社で、西宮神社の境内社である南宮神社。

安土桃山時代の文禄2年(1593年)、代官南条新左衛門尉により社殿が再建され、その際、雪気神を三石大神と改称した。

もとは現在地より東南約300メートルの地にあった。

江戸時代中期の享保7年(1722年)、兵庫の井上八郎右衛門が今和田新田を開発した際、当社を今和田の美地に移し、産土神として崇敬したという。

その後、明治39年(1906年)、三菱神戸造船所設立に伴う鉄道用地となったため、現在地に遷座した。その旧地の工場内には、旧蹟の碑が建てられている。

現在、御祭神は神功皇后、天照皇大神素盞嗚大神。三つの石にちなんで、3柱を奉斎する形か。

例祭は5月で、例大祭、神幸式があり、神輿や行列が町内を練り歩く。9月23日の西宮神社の水上渡御では、和田岬まで渡御する。

【ご利益】
安産、厄災除け、家内安全、海上安全(公式HP
三石神社 兵庫県神戸市兵庫区和田宮通
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