本殿なく山→木→岩を御神体とする、金閣寺の天井板にクスを供出
[住所]奈良県桜井市赤尾42
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忍坂山口坐神社(おさかやまぐちいますじんじゃ)は、奈良県桜井市赤尾にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「忍坂山口坐神社(大和国・城上郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では村社。

鳥見山の東山麓、西北流する栗原川の谷間出口に鎮座する。もともとは忍坂山を御神体山として奉斎したものと考えられている。

現在も切妻造瓦葺の拝殿のみで本殿なく、『郷村社取調帳』に「以山為神」とある。『しきしま』によると、「御神体ハ現存セル老杉一本ヲ崇ム」とある。

枯死し代りに拝殿奥北側の一画に高さ63センチの磐座を立て神の依り代としたという。もともとは山を、以降は木を、その後は磐座を御神体とした、ということか。

創建年代は不詳。奈良時代、天平2年(730年)の『大倭国正税帳』に「忍坂神戸穀捌斗耗一升五合定漆斗玖升五合」とある。

平安時代、大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』に紳封三戸を寄せられた。『日本三代実録』貞観元年(589年)正月27日条で従五位下より正五位下に昇叙された。

神名帳の他に、『延喜式』巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「忍坂山口社一座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。

大和国の式内社で山口の社名を有する14の神社、いわゆる大和国十四所山口神社の一つ、中でも大和六所山口神社の一社として特に崇敬された。

神宮寺は当社の西南方の白雲山興善寺で、毘沙門天像を本尊とするほか、薬師如来坐像を安置する。

『磯城郡誌』によれば、室町時代の応永4年(1397年)、足利義満が金閣寺建立の折、当古社地の楠木の大樹を伐採して天井板に使用したと記されている。

その時倒れた先が隣村忍坂まで届いたので、今も忍坂に「木の下」という地名が残っている。

現在境内北部のクスの巨木はその後の植樹と伝える。樹齢600年、幹周7.92メートル、樹高30メートル。市の天然記念物に指定されている。

御祭神は現在、大山祇命であるが、江戸時代中期の享保21年(1736年)、『大和志』に「在赤尾村。今称天一神」とある。

もともとは山口神社として大山祇命だったはずで、その後中世から近世にかけて陰陽道が普及し、方忌・方違の神としての天一神信仰が定着したとされる。

昭和5年(1930年)11月15日、大山祇命を御祭神とすると決定された。例祭は4月15日。境内には他に、元禄2年(1689年)と元禄6年(1693年)の二基の石灯籠がある。

【ご利益】
五穀豊穣、リフレッシュ
忍坂山口坐神社 奈良県桜井市赤尾
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