もとは竜門岳山頂に鎮座、今は旧村社吉野山口神社の境内、旧郷社
[住所]奈良県吉野郡吉野町山口634
[電話]0746-32-3057
高鉾神社(たかほこじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町山口にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「高桙神社(大和国・吉野郡)」に比定される式内社(小社、鍬)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。主祭神は高皇産霊神。いわゆる高木神で、高鉾あるいは高桙は「たかぎ」とも読まれる場合がある。
鎌倉時代末期の正中2年(1325年)頃までは、竜門岳山頂に鎮座していたが村民が謀って、タカホコヂという場所に遷座した。
竜門岳山頂には現在も小祠が残り、嶽神社として祀られており、当社の元宮、本宮と呼ばれている。
その後、戦国時代に現在地である吉野山口神社の境内に遷座したという。現在、当社本殿前の灯籠に文亀3年(1503年)とあり、遷座記念の奉納と考えられている。
タカホコヂの地は、明治36年(1903年)頃まで官有地だったが、現在は稲荷の小社が祀られているという。
高鉾神社とともに「竜門大宮」と称され、竜門郷21ヶ村の総社として崇められた。
参道左側には天満宮の灯籠がある。吉野山口神社が中世以降、天候を司る神としての天満宮と称されたためだとされる。
ただし、当社御祭神の高皇産霊神、そして現在は配祀されている神皇産霊神は元祖天神。一体化した「竜門大宮」として、天満宮とされた、という可能性もある。
明治4年(1871年)、郷社に列した。同時期に、吉野山口神社は村社に列している。
『延喜式神名帳』では大社だった吉野山口神社に対して、当社は小社。戦国期に、吉野山口神社の境内社としてのように現在地に遷座したが、明治になり主客逆転した。
例祭は12月7日。
なお、似ているといえば似ているかもしれないが、愛知県名古屋市千種区今池にある高牟神社(たかむじんじゃ)と混同される場合がある。御祭神は同じだが、別の神社で、特に関係があるとは思われない。
【ご利益】
結びの神、地域安全、家内安全
【関連記事】
・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
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高鉾神社(たかほこじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町山口にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「高桙神社(大和国・吉野郡)」に比定される式内社(小社、鍬)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。主祭神は高皇産霊神。いわゆる高木神で、高鉾あるいは高桙は「たかぎ」とも読まれる場合がある。
鎌倉時代末期の正中2年(1325年)頃までは、竜門岳山頂に鎮座していたが村民が謀って、タカホコヂという場所に遷座した。
竜門岳山頂には現在も小祠が残り、嶽神社として祀られており、当社の元宮、本宮と呼ばれている。
その後、戦国時代に現在地である吉野山口神社の境内に遷座したという。現在、当社本殿前の灯籠に文亀3年(1503年)とあり、遷座記念の奉納と考えられている。
タカホコヂの地は、明治36年(1903年)頃まで官有地だったが、現在は稲荷の小社が祀られているという。
高鉾神社とともに「竜門大宮」と称され、竜門郷21ヶ村の総社として崇められた。
参道左側には天満宮の灯籠がある。吉野山口神社が中世以降、天候を司る神としての天満宮と称されたためだとされる。
ただし、当社御祭神の高皇産霊神、そして現在は配祀されている神皇産霊神は元祖天神。一体化した「竜門大宮」として、天満宮とされた、という可能性もある。
明治4年(1871年)、郷社に列した。同時期に、吉野山口神社は村社に列している。
『延喜式神名帳』では大社だった吉野山口神社に対して、当社は小社。戦国期に、吉野山口神社の境内社としてのように現在地に遷座したが、明治になり主客逆転した。
例祭は12月7日。
なお、似ているといえば似ているかもしれないが、愛知県名古屋市千種区今池にある高牟神社(たかむじんじゃ)と混同される場合がある。御祭神は同じだが、別の神社で、特に関係があるとは思われない。
【ご利益】
結びの神、地域安全、家内安全
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