巨勢山の7合目に鎮座、近世には高社、室町期の建築様式の本殿
[住所]奈良県御所市古瀬字高社303
[電話]-
巨勢山口神社(こせやまぐちじんじゃ)は、奈良県御所市古瀬高社にある神社。和歌山線・近鉄吉野線の吉野口駅の北西約1キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「巨勢山口神社(大和国・葛上郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では村社。
古瀬の大倉姫神社の西、巨勢山の南東面中腹、7合目あたり、標高約200メートルの地に鎮座する。創建年代は不詳。
山々の口から落ちる水を甘き水と受けて、天下の公民が作る作物を悪風・荒水から避けて、よく実るよう祈り祀られた山口神社の一つ。
飛鳥・藤原と紀伊を結ぶ古道巨勢路が通じ、古代の豪族巨勢氏の本貫地であり、その関係が指摘される。
もとは山頂にあったと伝え、いずれかの時期に現在地の少し南にあたる小明原に遷座した。
御祭神はもとは大山祇命だったと考えられているが、現在は伊邪那岐命・伊邪那美命。
『日本三代実録』によれば、天安3年(859年)1月27日、従五位下から正五位下に昇叙、貞観元年(859年)9月8日、風雨祈願のために奉幣された。
『延喜式』によれば、祈年祭に馬一匹を加えられ、巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「巨勢山口社一座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。
大和国の式内社で山口の社名を有する14の神社、いわゆる大和国十四所山口神社の一つとして崇敬された。
社伝によれば、室町時代の正長元年(1428年)、小明原から現在地に遷座した。
『大和志』に「今称高社上梁文曰正長元年修造」とみえ、境内の寛文10年(1670年)の石灯籠には「高社御神前」とある。
江戸時代を通じて、高社と呼ばれていたらしい。それが今も地名に残る。他に、寛文10年の湯釜二個を蔵するという。
本殿は後世の補修があるものの、室町期の建築様式をとどめている。一間社お春日造で、銅板葺。棟札は、寛永5年(1638年)のものが残る。
例祭は10月7日。境内社に、天照皇大神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣、産業振興
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古瀬の大倉姫神社の西、巨勢山の南東面中腹、7合目あたり、標高約200メートルの地に鎮座する。創建年代は不詳。
山々の口から落ちる水を甘き水と受けて、天下の公民が作る作物を悪風・荒水から避けて、よく実るよう祈り祀られた山口神社の一つ。
飛鳥・藤原と紀伊を結ぶ古道巨勢路が通じ、古代の豪族巨勢氏の本貫地であり、その関係が指摘される。
もとは山頂にあったと伝え、いずれかの時期に現在地の少し南にあたる小明原に遷座した。
御祭神はもとは大山祇命だったと考えられているが、現在は伊邪那岐命・伊邪那美命。
『日本三代実録』によれば、天安3年(859年)1月27日、従五位下から正五位下に昇叙、貞観元年(859年)9月8日、風雨祈願のために奉幣された。
『延喜式』によれば、祈年祭に馬一匹を加えられ、巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「巨勢山口社一座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。
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社伝によれば、室町時代の正長元年(1428年)、小明原から現在地に遷座した。
『大和志』に「今称高社上梁文曰正長元年修造」とみえ、境内の寛文10年(1670年)の石灯籠には「高社御神前」とある。
江戸時代を通じて、高社と呼ばれていたらしい。それが今も地名に残る。他に、寛文10年の湯釜二個を蔵するという。
本殿は後世の補修があるものの、室町期の建築様式をとどめている。一間社お春日造で、銅板葺。棟札は、寛永5年(1638年)のものが残る。
例祭は10月7日。境内社に、天照皇大神社がある。
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