倭姫命が滞在中に天手力雄神などを奉斎、大和六所山口神社の一つ
[住所]奈良県桜井市初瀬4593
[電話]-

長谷山口坐神社(はせやまぐちにいますじんじゃ)は、奈良県桜井市初瀬にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「長谷山口坐神社(大和国・城上郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では村社。

大和国の式内社で山口の社名を有する14の神社、いわゆる大和国十四所山口神社の一つで、中でも大和六所山口神社の一つ。

創建年代は不詳。古くより大山祇神を奉斎していたという。隠口の泊瀬小国と称せられ、大泊瀬山、小泊瀬山の長谷渓谷に位置し、風光明媚な地として知られた。

『和名抄』にも「長谷」とあり、「はつせ」とも読まれている。長谷小国地方を一郷として長谷郷と呼ばれていた。

本殿東の山上には磐境があり、ここより東約400メートルの南面山麓には横穴式古墳が残っている。

第11代垂仁天皇の御代、倭姫命を御杖として、倭国伊豆加志本宮、また磯城厳橿の本である当地に、天照大神が奉斎された。

その際、随神としてこの地に天手力雄神を、また北の山の中腹に豊秋津姫命を奉斎したと伝わる。

いわゆる元伊勢伊豆加志本宮」。ただし、『倭姫命世記』では、「伊豆加志本宮」に行ったのは倭姫命ではなく、前任者である豊鋤入姫命

一説に、当社は手力雄社であって、当初の山口社は、現在の與喜天満神社ともされる。奈良時代の天平2年(730年)の『大和大税帳』には「長谷山口」の名が見える。

平安時代の貞観元年(860年)9月8日、風雨祈願の奉幣使が当社に参拝した。神名帳の他に、『延喜式』巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「長谷山口社一座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。

中世以降、もとの大山祇神ではなく、天手力雄神への信仰が高まり、明神講が生まれた。鎮座地名はこれにちなむ。長谷寺縁起文や古文書によれば、この地は古くから三神の里と呼ばれ、河を神河という。

表参道の朱塗の橋には神河橋とある。長谷寺験記の冒頭には、長谷寺開山の時の天手力雄神の霊現と功徳が述べられている。

当社本殿の建築については、江戸時代初期の慶長18年(1613年)の棟札が残っている。明治42年(1909年)、初瀬平田にあった豊受神社(豊受姫神保食神とも)を合祀した。

例祭は12月9日で、俗に霜月祭とも。8月31日には風鎮祭がある。

【ご利益】
五穀豊穣、リフレッシュ
長谷山口坐神社 奈良県桜井市初瀬
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