鹿島から春日大社への遷座ルート上の休息地、江戸期社殿と12月申祭り
[住所]奈良県山辺郡山添村春日469
[電話]-
春日神社(かすがじんじゃ)は、奈良県山辺郡山添村春日にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「春日神社(大和国・添上郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
春日大社の神々が鹿島を立ち、伊賀・壬生野・布引村・比奈知・薦生を経てこの地に一泊したと伝えられる。
奈良時代の神護景雲2年(786年)のことと、とされるが、この年は枚岡神社から春日大社に天児屋根命が遷った年であり、当社地とは関係ない真反対を移動しているはず。
天児屋根命の遷座よりも先立って行われたと考えられる、現在は春日神の1柱である建御雷神が鹿島神宮から春日大社に移ったルート上には、当社は合致する可能性がある。
中世には藤原氏の藤井庄とされ、同庄支配の手段として春日大社御祭神を勧請した。鎮座地の地名「春日」の由来となっている。
御祭神は、建御雷神・経津主神・天児屋根命・比売神の春日四神。もともとは建御雷神1柱を奉斎していたと思われる。
山添14ヶ大字の郷社として崇敬されてきた。例祭は10月16日。
本殿は一間春日造り、桧皮葺きの社殿で、境内の北端に南面して建てられてる。
戦国時代の永禄4年(1561年)からの数多くの棟札が残されており、現在の建物は江戸時代初期の寛永10年(1633年)のものと考えられている。
本殿身舎の組み物の形式は、あまり類例のない珍しいものとされる。現在は、県の文化財に指定されている。
境内摂社に若宮社(天押雲根命)があり、当地区のみの氏神。と、すると、やはり天児屋根命との関係が示唆されてはいるが。
この若宮神社は申祭りが有名で、毎年12月の申の日には能・狂言が奉納される。菅生春楽社(金春流)による「翁舞」があり、菅生春楽社は村指定文化財。
他の境内社に、木ノ宮神社・八幡神社・津島神社がある。
また、鎌倉時代末期の正中2年(1325年)の銘がある石灯籠があり、村の文化財に指定されている。
なお、式内社「春日神社」の論社は他に、春日大社本殿廻廊の西南隅に鎮座する榎本神社、奈良市白毫寺町の宅春日神社がある。
【ご利益】
地域安全、五穀豊穣、家内安全
【関連記事】
・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
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春日神社(かすがじんじゃ)は、奈良県山辺郡山添村春日にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「春日神社(大和国・添上郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
春日大社の神々が鹿島を立ち、伊賀・壬生野・布引村・比奈知・薦生を経てこの地に一泊したと伝えられる。
奈良時代の神護景雲2年(786年)のことと、とされるが、この年は枚岡神社から春日大社に天児屋根命が遷った年であり、当社地とは関係ない真反対を移動しているはず。
天児屋根命の遷座よりも先立って行われたと考えられる、現在は春日神の1柱である建御雷神が鹿島神宮から春日大社に移ったルート上には、当社は合致する可能性がある。
中世には藤原氏の藤井庄とされ、同庄支配の手段として春日大社御祭神を勧請した。鎮座地の地名「春日」の由来となっている。
御祭神は、建御雷神・経津主神・天児屋根命・比売神の春日四神。もともとは建御雷神1柱を奉斎していたと思われる。
山添14ヶ大字の郷社として崇敬されてきた。例祭は10月16日。
本殿は一間春日造り、桧皮葺きの社殿で、境内の北端に南面して建てられてる。
戦国時代の永禄4年(1561年)からの数多くの棟札が残されており、現在の建物は江戸時代初期の寛永10年(1633年)のものと考えられている。
本殿身舎の組み物の形式は、あまり類例のない珍しいものとされる。現在は、県の文化財に指定されている。
境内摂社に若宮社(天押雲根命)があり、当地区のみの氏神。と、すると、やはり天児屋根命との関係が示唆されてはいるが。
この若宮神社は申祭りが有名で、毎年12月の申の日には能・狂言が奉納される。菅生春楽社(金春流)による「翁舞」があり、菅生春楽社は村指定文化財。
他の境内社に、木ノ宮神社・八幡神社・津島神社がある。
また、鎌倉時代末期の正中2年(1325年)の銘がある石灯籠があり、村の文化財に指定されている。
なお、式内社「春日神社」の論社は他に、春日大社本殿廻廊の西南隅に鎮座する榎本神社、奈良市白毫寺町の宅春日神社がある。
【ご利益】
地域安全、五穀豊穣、家内安全
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