春日大社本殿廻廊の西南隅、地主神で春日氏の神か、土地交換説話
[住所]奈良県奈良市春日野町160
[電話]0742-22-7788 - 春日大社

榎本神社(えのもとじんじゃ)は、奈良県奈良市春日野町の春日大社境内にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「春日神社(大和国・添上郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

春日大社本殿廻廊の西南隅に春日造の小さな社殿がある。現在の御祭神は猿田彦大神だが、もともとは春日大社が創建される以前からの当地の地主神。
藤原京が都だった頃、武甕槌命は藤原京の東方の阿倍山に鎮座していた。

春日野一帯の土地を所有する榎本の神が阿倍山の武甕槌命のもとを訪ねて「私が住んでいる春日野と、あなたが住んでいる阿倍山を交換してほしい」と相談した。

武甕槌命はそれに応じたが、間もなく平城京への遷都が行われ、阿倍山に移った榎本の神のもとには参拝者が少なくなり、榎本の神は貧乏になってしまった。

困った榎本の神は武甕槌命に助けを求め、武甕槌命は自分の社のそばに社を建ててそこに住むように言った。これが今日の当社であるという。
あるいは、武甕槌命は春日野一帯に広大な神地を構えようと一計を案じ、地主である榎本の神に「この土地を地下三尺だけ譲ってほしい」と言った。

榎本の神は耳が遠かったために「地下」という言葉が聞き取れず、「三尺くらいなら」と承諾してしまった。

武甕槌命はすぐさま、榎本の神が所有する広大な土地に囲いをした。榎本の神が「話が違う」と抗議した。

武甕槌命は「私は地下三尺と言ったのに、あなたが聞き取れなかっただけでしょう。約束通り、境内の樹木は地下三尺より下へは延ばしません。あなたは住む所がなくては困るでしょうから、私の近くに住んで下さい」と言った。

そこで、榎本の神は春日大社本殿のすぐそばに住むようになった。
俗に「つんぼ春日に土地三尺借りる」と呼ばれ、明治時代まで、春日大社の参詣者は、まず当社に参拝し、耳が遠いので大きな音を立てて、その後に本社に参拝したという。

当社が式内社「春日神社」であれば、当地地主神こそが春日神ということになる。ちなみに、春日大社の『延喜式神名帳』における表記は「春日祭神」。

今や春日と言えば、春日大社であり、中臣氏であり、藤原氏だが、それより以前は春日氏の地域であり、春日氏の祖神を奉斎したものが春日神だったのだろう。

春日氏という古代氏族名まで希薄化させ、「春日」を全国区にしたところにも藤原氏の歴史上における恐ろしさが現れているようだ。

説話の登場神は春日四神の1柱ではあるものの、あくまでも武甕槌命であって、春日神といえば現在は定着している、藤原氏の直接の祖神である天児屋根命ではない、ところも作為的か。

一方で、中世まで、当社の神は巨勢姫明神という女神だったとも。江戸時代初期の寛文3年(1603年)の文献に、現在の御祭神である猿田彦大神が登場する。

説話における榎本の神が女神とは結び付かないが、国津神で、言ってしまえば天津神にいいようにあしらわれた猿田彦大神は、この説話とも結び付きやすいか。

「榎本」の名の初出は、平安時代の応徳元年(1084年)の『皇代記断簡』の「榎本明神前」という記述だという。

江戸時代には「榎本社」と呼ばれていたが、明治9年(1876年)に「式内春日神社」に改称した。例祭は11月1日。

なお、式内社「春日神社」の論社は他に、市内白毫寺町の宅春日神社、山添村春日の春日神社がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、諸願成就
榎本神社 奈良県奈良市春日野町
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