『日本書紀』記載の姫宮、鎌倉末期からの棟札と室町期の春日造本殿
[住所]奈良県御所市名柄271
[電話]0745-66-0178 - 葛城一言主神社
長柄神社(ながらじんじゃ)は、奈良県御所市名柄にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「長柄神社(大和国・葛上郡)」に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では村社。
創建年代は不詳。『古事記』には、葛城長江曾都毘古の名が記載されているが、この「長江」と「長柄(ながえ/ながら)」は同義語。
つまり、葛城山の長い尾根を意味するという。『日本書紀』神武天皇即位前紀己未年2月20日条の「臍見長柄丘岬」を当地に比定する説もある。
当社付近には、名柄銅鐸・多紐細文鏡の出土や、5世紀中頃の首長居館遺構である名柄遺跡が検出されている。
御祭神は下照姫命。当社の別名である姫の宮、姫宮は女神を祀ることからきている。
御祭神の異説に、事代主命や高照姫命がある。葛木御歳神社や、葛城一言主神社・高鴨神社との関連が指摘されている。
『日本書紀』天武天皇9年(680年)9月9日条に、天武天皇が「長柄杜(ながらのもり)」において騎射を催したとする記述がある。
『延喜式神名帳』以降の変遷は不詳だが、本殿の造営・再建について鎌倉時代の正和元年(1312年)まで遡る棟札が現在に伝わっている。
また、『春日神社文書』応永25年(1418年)の「吐田庄注進文」では「ナカラノミヤ」の記載がある。
本殿は一間社春日造。表面は丹塗で、屋根はかつて檜皮葺であったが、現在では銅板葺である。
向拝に垂木がない珍しい造りで、軒の裏板の雲竜の彩画も見事。細部に禅宗様の様式が見られる。
造営年代は不明だが、室町時代中頃まで遡ると推定されている。先の鎌倉期の棟札を含めた17枚の棟札とともに、現在は県の文化財に指定されている。
例祭は10月2日。境内社として、八坂神社、一言主神社などがある。拝殿左手には三宇の末社社殿がある。
【ご利益】
子宝・安産、家内安全
【関連記事】
・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
[電話]0745-66-0178 - 葛城一言主神社
長柄神社(ながらじんじゃ)は、奈良県御所市名柄にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「長柄神社(大和国・葛上郡)」に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では村社。
創建年代は不詳。『古事記』には、葛城長江曾都毘古の名が記載されているが、この「長江」と「長柄(ながえ/ながら)」は同義語。
つまり、葛城山の長い尾根を意味するという。『日本書紀』神武天皇即位前紀己未年2月20日条の「臍見長柄丘岬」を当地に比定する説もある。
当社付近には、名柄銅鐸・多紐細文鏡の出土や、5世紀中頃の首長居館遺構である名柄遺跡が検出されている。
御祭神は下照姫命。当社の別名である姫の宮、姫宮は女神を祀ることからきている。
御祭神の異説に、事代主命や高照姫命がある。葛木御歳神社や、葛城一言主神社・高鴨神社との関連が指摘されている。
『日本書紀』天武天皇9年(680年)9月9日条に、天武天皇が「長柄杜(ながらのもり)」において騎射を催したとする記述がある。
『延喜式神名帳』以降の変遷は不詳だが、本殿の造営・再建について鎌倉時代の正和元年(1312年)まで遡る棟札が現在に伝わっている。
また、『春日神社文書』応永25年(1418年)の「吐田庄注進文」では「ナカラノミヤ」の記載がある。
本殿は一間社春日造。表面は丹塗で、屋根はかつて檜皮葺であったが、現在では銅板葺である。
向拝に垂木がない珍しい造りで、軒の裏板の雲竜の彩画も見事。細部に禅宗様の様式が見られる。
造営年代は不明だが、室町時代中頃まで遡ると推定されている。先の鎌倉期の棟札を含めた17枚の棟札とともに、現在は県の文化財に指定されている。
例祭は10月2日。境内社として、八坂神社、一言主神社などがある。拝殿左手には三宇の末社社殿がある。
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