もとの聖地に神宮寺の長弓寺が建立された? 江戸期は牛頭天王社
[住所]奈良県生駒市上町4447
[電話]0743-78-0717
伊弉諾神社(いざなぎじんじゃ)は、奈良県生駒市上町の長弓寺境内にある神社。
『延喜式神名帳』にある「伊射奈岐神社(大和国・添下郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では村社。
『長弓寺縁起』によれば、奈良時代の天平18年(746年)、長弓寺創建にあたり、鎮守として牛頭天王を大宮、八王子を若宮に祀ったという。
近くには蛇喰という地名、伝饒速日命の墓などがあり、もともと長髄彦や物部氏の聖地だったとの説がある。
東遷において、初代神武天皇とその軍が生駒山を越えて大和に入ろうとしたその生駒側。
その説によれば、当社が存在し、その上で神宮寺として長弓寺が創建された、ということになる。寺の総門前の大鳥居が境内を総括していることが証左となる。
『日本三代実録』貞観元年正月27日(859年3月9日)条に従五位下から従五位上に昇叙したとある。
やはり式内社である「登弥神社/登彌神社」に比定する説もある。その論社は他に、奈良市石木町の式内同名神社がある。
牛頭天王社とも称し、江戸時代まで寺僧の第一臈が神職を務めた。また、文明6年(1474年)の火災の記録がある。
明治になり、現社号に改称した。御祭神は、伊弉諾尊。素盞嗚尊・大己貴尊を配祀する。
境内には桃山時代の石灯籠がある。境内社に、熊野神社・素盞鳴神社の相殿と嚴嶋神社がある。
真弓山長弓寺は、真言律宗。本尊は平安後期の木造十一面観音で国の重要文化財に指定されている。
本堂は鎌倉時代中期の建立で、檜皮葺、入母屋造。国宝に指定されている。
長弓寺の御朱印はあるが、当社の御朱印の有無は不明。
なお、大和国の式内社には城上郡・添下郡・葛下郡にそれぞれ「伊射奈岐神社」があり、添下郡の当社の他、城上郡には伊射奈岐神社が、葛下郡には伊邪那岐神社がある。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、家内安全

【関連記事】
・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
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伊弉諾神社(いざなぎじんじゃ)は、奈良県生駒市上町の長弓寺境内にある神社。
『延喜式神名帳』にある「伊射奈岐神社(大和国・添下郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では村社。
『長弓寺縁起』によれば、奈良時代の天平18年(746年)、長弓寺創建にあたり、鎮守として牛頭天王を大宮、八王子を若宮に祀ったという。
近くには蛇喰という地名、伝饒速日命の墓などがあり、もともと長髄彦や物部氏の聖地だったとの説がある。
東遷において、初代神武天皇とその軍が生駒山を越えて大和に入ろうとしたその生駒側。
その説によれば、当社が存在し、その上で神宮寺として長弓寺が創建された、ということになる。寺の総門前の大鳥居が境内を総括していることが証左となる。
『日本三代実録』貞観元年正月27日(859年3月9日)条に従五位下から従五位上に昇叙したとある。
やはり式内社である「登弥神社/登彌神社」に比定する説もある。その論社は他に、奈良市石木町の式内同名神社がある。
牛頭天王社とも称し、江戸時代まで寺僧の第一臈が神職を務めた。また、文明6年(1474年)の火災の記録がある。
明治になり、現社号に改称した。御祭神は、伊弉諾尊。素盞嗚尊・大己貴尊を配祀する。
境内には桃山時代の石灯籠がある。境内社に、熊野神社・素盞鳴神社の相殿と嚴嶋神社がある。
真弓山長弓寺は、真言律宗。本尊は平安後期の木造十一面観音で国の重要文化財に指定されている。
本堂は鎌倉時代中期の建立で、檜皮葺、入母屋造。国宝に指定されている。
長弓寺の御朱印はあるが、当社の御朱印の有無は不明。
なお、大和国の式内社には城上郡・添下郡・葛下郡にそれぞれ「伊射奈岐神社」があり、添下郡の当社の他、城上郡には伊射奈岐神社が、葛下郡には伊邪那岐神社がある。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、家内安全

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