崇神朝の創祀、日本武尊が戦勝祈願、柳本藩主織田氏崇敬の柳本藩社
[住所]奈良県天理市柳本町1899
[電話]0743-66-2254

伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)は、奈良県天理市柳本町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「伊射奈岐神社(大和国・城上郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

社伝によれば、第10代崇神天皇の御代の創建。天皇自ら祖神を奉斎したとも。現在の鎮座地も崇神天皇陵のすぐ近くの天神山である。

国道169号線によって分断された、最古級の前方後円墳の一つとされる大和天神山古墳のくびれの部分。

御祭神は社名通り、伊邪那岐神。現在は後に合祀された菅原道真も祀る。

日本武尊が東国征伐の出陣に際し、弟橘比売命を后に迎えて間もない命は我が身を案じ、当社で戦勝祈願をしたと伝わる。

楊本天神、楊本天満宮と称し、かつては南東の山田垣内、櫛山古墳の北側にある地尊池の西側に鎮座したという。

戦国時代初期の文明年間(1469年-1487年)には現在地に鎮座し、楊本の総鎮守とされていた。

寛正2年(1461年)4月6日には興福寺大乗院主である尋尊が、天文22年(1553年)2月28日には三条西公条が参詣している。

天文24年(1555年)8月29日には後奈良天皇が綸旨を下し、8月だった神事を9月に定めるとともに、柳原淳光に皇室再興を祈らせた。

江戸時代には柳本藩主織田氏の庇護を受け、柳本藩社と呼ばれた。当社の境内左手には、その祖である織田信長を祀る建勲神社がある。

例祭は10月14日。かつては神事は8月10日に行なわれ、3斗が神楽料にあてられていた。

祭礼は簡素化されたが、明治初期までは猿束、狐束、柘榴束などと呼ぶ7種類の御供を作って渡御をする神事があり、元亀2年(1571年)に作られた御供用の板木2枚が残っていた。

板木は桜で、1枚は表に鮎、裏に梅と蝦を、もう1枚には鯉が描かれている。

境内社は、社殿右側に、春日社・若宮社・秋葉社を合祀した小祠、右手奥に稲荷神社(宇迦之御魂大神・太田神・大宮比売命)。

社殿左側に、厳島社・大山咋社・八坂社を合祀した小祠、境内左手に先の建勲神社と琴平神社が並ぶ。

なお、大和国の式内社には城上郡・添下郡・葛下郡にそれぞれ「伊射奈岐神社」があり、城上郡の当社の他、添下郡には伊弉諾神社が、葛下郡には伊邪那岐神社がある。

【ご利益】
家内安全、武運長久・勝運
伊射奈岐神社 奈良県天理市柳本町
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伊射奈岐神社 奈良県天理市柳本町の御朱印