天岩戸で飛来した巨岩を崇拝、鳴動する御神体、柳生石舟斎の一刀岩
[住所]奈良県奈良市柳生町柳生字岩戸谷789
[電話]-
天石立神社(あまのいわたてじんじゃ)は、奈良県奈良市柳生町柳生岩戸谷にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「天乃石立神社(大和国・添上郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
戸岩山という小高い山の北麓、標高330メートルの山中に、本殿を持たず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとる。
本殿はなく巨岩そのものを御神体として崇める太古からの祭祀の形態を遺す古社で、創祀の年代などは不詳。
社伝によれば、神代の昔、天岩戸の故事に基づいて創祀された。手力男命が天岩戸を開いた時にその扉石が当地に飛来したものだという。
鎮座地後方にそびえる戸岩山にかけての到る所にも巨石が見られるほか、柳生をはじめとする奈良市の山間部には巨岩、巨石に対する信仰の形跡が多く見られる。
扉形に三つに割れた花崗岩の巨岩「前伏磐」「前立磐」「後立磐」の周囲の樹間に注連縄を張り廻らし、これを御神体として祀る。
「前立磐」は豊磐牖命の御神体岩で「天岩立神社」とも。板形で、高さ6メートル、幅7.3メートル、厚さ1.2メートル。
「後立磐」は櫛磐牖命の御神体岩で「天岩吸神社」とも。板形。
「前伏磐」は天岩戸別命の御神体岩で「天立神社」とも。板形で、高さ1.2メートル、幅約7メートル、厚さ1.2メートル。
この他、昭和28年(1953年)に南西の崖から落ちてきた丸形の「きんちゃく岩」を、天照大姫命の御神体岩として、「日向神社」とも称し、祀る。
鎮座地一帯に分布する巨石のそれぞれにも、総数3123柱の神々が宿るとしている。
当地一帯は関白藤原頼通の時代に、春日大社に神領として寄進されたが、その際は巨岩が鳴動したといい、近世初頭に至るまで皇室に慶事あるごとに鳴動を繰り返したという。
一帯は戸岩谷と称し「一刀石」をはじめとする巨岩、巨石が累々とする景勝地で、沢庵によって「柳生十景」の一つに数えられ、「万年渓」と名付けられた。
柳生宗厳(柳生石舟斎)が当社で剣術の修行をしたことで知られ、有名な一刀石がある。
当社の北方100メートルほど、全体で長さ8メートル、幅7メートル、高さ2メートルの花崗岩であるが、中央付近で斜め一直線に割れている。
上泉信綱との試合で敗れた石舟斎宗厳が、3年間この地で毎夜天狗を相手に剣術修行をし、ある夜一刀のもとに天狗を切ったと思えば実はこの岩であったと伝える。
現に岩面に天狗の足跡が残るという。ちなみに宗厳はこの修行で無刀の極意を悟り、柳生新陰流の始祖となった。
江戸時代には柳生藩の歴代藩主から崇敬され、柳生宗弘(俊方)の宝永2年(1705年)銘の、柳生俊平の寛保2年(1742年)銘の、それぞれ寄進の石灯籠が残されている。
柳生家の菩提寺である芳徳寺には寛永2年(1625年)の奥書のある当社の縁起書『神戸岩縁起』が伝わっている。
かつては俊方が宝永2年に建立した能舞台が設けられていたが、現在は柳生町八坂神社へ移築され、同社の拝殿に代用されている。
柳生町に地域を分けて交替で神主を勤める「まわり神主」のしきたりがあり、「神主」に当たった者は正月に神体岩の注連縄を張り替える。
【ご利益】
諸願成就、技芸・スポーツ上達
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天石立神社(あまのいわたてじんじゃ)は、奈良県奈良市柳生町柳生岩戸谷にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「天乃石立神社(大和国・添上郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
戸岩山という小高い山の北麓、標高330メートルの山中に、本殿を持たず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとる。
本殿はなく巨岩そのものを御神体として崇める太古からの祭祀の形態を遺す古社で、創祀の年代などは不詳。
社伝によれば、神代の昔、天岩戸の故事に基づいて創祀された。手力男命が天岩戸を開いた時にその扉石が当地に飛来したものだという。
鎮座地後方にそびえる戸岩山にかけての到る所にも巨石が見られるほか、柳生をはじめとする奈良市の山間部には巨岩、巨石に対する信仰の形跡が多く見られる。
扉形に三つに割れた花崗岩の巨岩「前伏磐」「前立磐」「後立磐」の周囲の樹間に注連縄を張り廻らし、これを御神体として祀る。
「前立磐」は豊磐牖命の御神体岩で「天岩立神社」とも。板形で、高さ6メートル、幅7.3メートル、厚さ1.2メートル。
「後立磐」は櫛磐牖命の御神体岩で「天岩吸神社」とも。板形。
「前伏磐」は天岩戸別命の御神体岩で「天立神社」とも。板形で、高さ1.2メートル、幅約7メートル、厚さ1.2メートル。
この他、昭和28年(1953年)に南西の崖から落ちてきた丸形の「きんちゃく岩」を、天照大姫命の御神体岩として、「日向神社」とも称し、祀る。
鎮座地一帯に分布する巨石のそれぞれにも、総数3123柱の神々が宿るとしている。
当地一帯は関白藤原頼通の時代に、春日大社に神領として寄進されたが、その際は巨岩が鳴動したといい、近世初頭に至るまで皇室に慶事あるごとに鳴動を繰り返したという。
一帯は戸岩谷と称し「一刀石」をはじめとする巨岩、巨石が累々とする景勝地で、沢庵によって「柳生十景」の一つに数えられ、「万年渓」と名付けられた。
柳生宗厳(柳生石舟斎)が当社で剣術の修行をしたことで知られ、有名な一刀石がある。
当社の北方100メートルほど、全体で長さ8メートル、幅7メートル、高さ2メートルの花崗岩であるが、中央付近で斜め一直線に割れている。
上泉信綱との試合で敗れた石舟斎宗厳が、3年間この地で毎夜天狗を相手に剣術修行をし、ある夜一刀のもとに天狗を切ったと思えば実はこの岩であったと伝える。
現に岩面に天狗の足跡が残るという。ちなみに宗厳はこの修行で無刀の極意を悟り、柳生新陰流の始祖となった。
江戸時代には柳生藩の歴代藩主から崇敬され、柳生宗弘(俊方)の宝永2年(1705年)銘の、柳生俊平の寛保2年(1742年)銘の、それぞれ寄進の石灯籠が残されている。
柳生家の菩提寺である芳徳寺には寛永2年(1625年)の奥書のある当社の縁起書『神戸岩縁起』が伝わっている。
かつては俊方が宝永2年に建立した能舞台が設けられていたが、現在は柳生町八坂神社へ移築され、同社の拝殿に代用されている。
柳生町に地域を分けて交替で神主を勤める「まわり神主」のしきたりがあり、「神主」に当たった者は正月に神体岩の注連縄を張り替える。
【ご利益】
諸願成就、技芸・スポーツ上達
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