応神朝以来の盟神探湯、現在は4月第1日曜日に斎行、豊浦展望台の桜
[住所]奈良県高市郡明日香村大字豊浦字寺内626
[電話]0744-54-2071 - 飛鳥坐神社

甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村豊浦寺内にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「甘樫坐神社四座(大和国・高市郡)」に比定される式内社(大社、月次相嘗新嘗)。近代社格では村社。

武内宿禰による創建と伝えられる。『日本三代実録』貞観元年(859年)正月27日条に従五位下甘樫神に従五位上の神階を授けるある。

『五郡神社記』によれば、もともとは八十禍津日神大禍津日神神直日神大直日神を御祭神としていた。『延喜式神名帳』の四座と対応する。

甘樫丘は古代、盟神探湯が行われたという地であり、『五郡神社記』も当社を「湯起請の神」と記している。

第15代応神天皇9年4月、武内宿禰が住民監察のため筑紫に遣わされた。その留守中に、弟の甘味中宿禰は兄を除こうとして、兄に叛意があるとする讒言を行った。

帰朝した武内宿禰は野心がないことを弁明、天皇は二人を対決させたが、是非が決められなかったため、磯城川のほとりで盟神探湯を行わせた、という。

また、第19代允恭天皇の時、甘樫丘の辞禍戸崎で盟神探湯を行なった。氏姓を詐称するものが多くなり、その混乱を正すための処置。

神聖な木綿タスキをかけて熱湯の釜の前に立たせ、釜に手を入れ、焼け爛れなかった者は正しいとされた。以後、氏姓が定まり、詐称する者は無くなったという。

盟神探湯がいつ頃まで行われていたか、不明な点が多いが、和銅3年(710年)の平城京への遷都を境に、この飛鳥の地も衰微したと思われる。

釜自体は平安時代初期まで存在していた、とされる。中世の『五郡神社記』にも明記されていることから、盟神探湯の伝承は脈々と伝わったのだろう。

戦後に復興し、現在も当社境内で毎年4月第1日曜日に盟神探湯の神事が行われる。

現在は、主祭神を当地に宮を置いたとされる推古天皇とし、相殿に八幡宮・春日大明神天照皇大神八咫烏神・住吉大明神・熊野権現を祀る。例祭は9月18日。

甘樫丘の北端にある豊浦展望台は、大和三山を見渡せる景勝地。盟神探湯の頃は桜の名所としても知られ、4月第1日曜日は「桜サンデー」と呼ばれる。

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甘樫坐神社 奈良県高市郡明日香村豊浦寺内
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