「日本最古の厄除の霊地」奈良朝の創祀、義経ゆかり、1月に厄除大祭
[住所]兵庫県神戸市須磨区多井畑宮ノ脇1
[電話]078-741-0827
多井畑厄除八幡宮(たいのはたやくよけはちまんぐう)は、兵庫県神戸市須磨区多井畑宮ノ脇にある神社。通称は多井畑厄神。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『続日本紀』神護景雲4年(770年)6月、疫病が大流行し、それを鎮めるために大和・山城・河内・摂津・和泉の五畿内の国境10ヶ所に疫神を祀り、疫祓いが行われた。
当社地は、古山陽道の摂津と播磨国の国境に位置していたため、その一つとして疫神が祀られたといい、これが創祀。
今も疫神祭塚が残り、この奈良時代のいわれから、「日本最古の厄除の霊地」を称している。
現在の兵庫県神戸市須磨に配流された在原行平(818年-893年)もこの聖地に参拝したと伝わる。ゆかりの松風・村雨の墓、鏡の井戸がある。
安元年間(1175年-1177年)、この霊地に京都石清水八幡宮を勧請した。御祭神は応神天皇(八幡神)。
治承8年(1184年)の一ノ谷の戦いに際しては、源義経が必勝を祈願したと伝わる。境内には今も、義経腰かけの松、弁慶の足跡、扇の松がある。
現在の本殿は春日造、桧皮葺、極彩色で、南北朝時代の延文5年(1360年)の建築という。
また、室町時代の応永5年(1398年)には拝殿を、長享元年(1487年)には本殿の覆いが建築された。
例祭は4月19日。1月18日-20日には厄除大祭が行われる。1月の月間参拝者数は当社公式サイトによれば80万人に達する。
厄除大祭の御供物として奉る餅つきの神事が1月16日に行われる。古来より社家8人の神主役が行っていた。現在では、氏子から8人が選ばれ、この神事を斎行する。
旧暦8月13日には「かねたたき」の神事がある。。カスリの着物を着た氏子の男児が、太鼓に合わせて鉦を打ち鳴らし唄を唱和しながら町を回る。
最後に当社に行灯を奉納する。現在では珍しくなった六斎念仏の原型を残す神事。
境内社に、山神(さんじ)さんとして親しまれる猿田彦神社(猿田彦大神)がある。
【ご利益】
厄災除け、武運長久・勝運、技芸・スポーツ上達(公式HP)

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多井畑厄除八幡宮(たいのはたやくよけはちまんぐう)は、兵庫県神戸市須磨区多井畑宮ノ脇にある神社。通称は多井畑厄神。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『続日本紀』神護景雲4年(770年)6月、疫病が大流行し、それを鎮めるために大和・山城・河内・摂津・和泉の五畿内の国境10ヶ所に疫神を祀り、疫祓いが行われた。
当社地は、古山陽道の摂津と播磨国の国境に位置していたため、その一つとして疫神が祀られたといい、これが創祀。
今も疫神祭塚が残り、この奈良時代のいわれから、「日本最古の厄除の霊地」を称している。
現在の兵庫県神戸市須磨に配流された在原行平(818年-893年)もこの聖地に参拝したと伝わる。ゆかりの松風・村雨の墓、鏡の井戸がある。
安元年間(1175年-1177年)、この霊地に京都石清水八幡宮を勧請した。御祭神は応神天皇(八幡神)。
治承8年(1184年)の一ノ谷の戦いに際しては、源義経が必勝を祈願したと伝わる。境内には今も、義経腰かけの松、弁慶の足跡、扇の松がある。
現在の本殿は春日造、桧皮葺、極彩色で、南北朝時代の延文5年(1360年)の建築という。
また、室町時代の応永5年(1398年)には拝殿を、長享元年(1487年)には本殿の覆いが建築された。
例祭は4月19日。1月18日-20日には厄除大祭が行われる。1月の月間参拝者数は当社公式サイトによれば80万人に達する。
厄除大祭の御供物として奉る餅つきの神事が1月16日に行われる。古来より社家8人の神主役が行っていた。現在では、氏子から8人が選ばれ、この神事を斎行する。
旧暦8月13日には「かねたたき」の神事がある。。カスリの着物を着た氏子の男児が、太鼓に合わせて鉦を打ち鳴らし唄を唱和しながら町を回る。
最後に当社に行灯を奉納する。現在では珍しくなった六斎念仏の原型を残す神事。
境内社に、山神(さんじ)さんとして親しまれる猿田彦神社(猿田彦大神)がある。
【ご利益】
厄災除け、武運長久・勝運、技芸・スポーツ上達(公式HP)

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