石器時代の祭祀址、「灘の一つ火」椎根津彦命の本宮、5月にだんじり
[住所]兵庫県神戸市東灘区本山町北畑680
[電話]078-451-9435

保久良神社(ほくらじんじゃ)は、兵庫県神戸市東灘区本山町北畑にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「保久良神社(摂津国・莵原郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

境内外に多数の磐座群が見られ古代祭祀の場であったと考えられる。境内の南西部に「立岩」、社殿西方に「神生岩」、東側に「三交岩」という巨石がある。

境内外地より石器時代、弥生時代後期の弥生式土器や石斧、石剣など種々の遺物、特に有名な物として約20センチの銅戈が出土、国の重要文化財に指定されている。

そのいずれもが儀礼的用途をもつものと考証され、祝部土器、玻璃性勾玉も発見され、祭祀は非常に古い時代から行われていたと考えられる。

当社地は弥生時代の高地性集落の一部ともされ、また、いわゆる超古代文明「カタカムナ」との関わりが指摘されている。

御祭神の椎根津彦命は、当社の南に位置する神戸市東灘区の青木(おうぎ)の浜に青亀(おうぎ)の背にのって漂着したという伝承がある。

吉井良隆は「椎根津彦命は大阪湾北側を支配する海部の首長」で、当社を「西宮夷の奥夷社の元宮」と推測している。

また、社頭の灯明台の神火は「灘の一つ火」と呼ばれる常夜灯。

日本武命熊襲遠征の帰途、夜に航路がわからなくなった時、当社の灯火が見え、無事に難波へ帰りつけたという。

「沖の舟人 たよりに思う 灘の一つ火 ありがたや」の古謡が広く知られ、航海安全の信仰も篤い。

また、神功皇后の三韓征伐の際、三韓役の戦利武器を収蔵したとも伝わる。

『続日本紀』神護景雲3年(769年)6月、「摂津菟原郡倉人水守等に大和連を賜う」とあり、倭国造の椎根津彦命からの系譜とされる。

現在までに、須佐之男命を主祭神とし、大国主命大歳御祖命、椎根津彦命を配祀する。

鎌倉時代中期の青銅製懸仏が見つかっており、『摂津志』には鎌倉時代の建長2年(1250年)重修の棟札があると記載されている。

中世には天王宮とも称せられ、中古には本庄の庄の氏神として崇敬された。江戸時代になり、「牛頭天王社」と称された。

明治5年(1872年)、村社に列した。昭和42年(1967年)には「兵庫県観光百選」にも選ばれている。今もパワースポットとして根強い人気がある。

例祭は5月4日・5日。北畑・田辺・小路・中野のだんじりがパレードし、宮入りする。

【ご利益】
水難除け、海上安全、厄災除け、病魔退散
保久良神社 兵庫県神戸市東灘区本山町北畑
【関連記事】
兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
保久良神社 兵庫県神戸市東灘区本山町北畑の御朱印