六條判官源為義ゆかりの八幡宮、三重塔、10月に流鏑馬、9月に神輿
[住所]兵庫県神戸市北区山田町中宮ノ片57
[電話]078-581-2187

六条八幡神社(ろくじょうはちまんぐう)は、兵庫県神戸市北区山田町中宮ノ片にある神社。近代社格では郷社。六條八幡宮とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

神功皇后が三韓征伐に向かう途上、丹生都比売命の下記の御神託を得た。
我が山の丹土で舟、兵具を塗り、軍衣を染め、丹浪(海水を掻き回して赤く濁らせる)をもちて出陣すれば勝利疑いなし
そこで皇后は、斎戒沐浴して丹生都比売命を氏神と仰ぐ丹生氏族より丹土を授かるために当地に行宮を営んだという。

現在も、丹生山頂には丹生都比売命を御祭神とする丹生神社が鎮座している。現在は、当社の兼務神社。

平安時代中期の長徳元年(995年)、周防国の行者で、弘法大師空海の弟子である基燈法師が各地を巡錫して当地に至った。

そこで、神功皇后行宮址を応神天皇が修営された霊地であることを夢想の霊告に感じ、円融寺を開基すると同時に、黒木の宝殿一宇を建立した。

平安時代後期の保安4年(1123年)、丹生山田庄の領主だった六條判官源為義が、京の都六条左女牛の自邸に祀る左女牛八幡大神を勧請、合祀した。

為義の称号をとって現社号で呼ばれるようになった。ちなみに、為義の邸内社は現在、「陶器神社」として知られる京都市東山区五条坂の若宮八幡宮社である。

室町時代の文正元年(1466年)、三重塔が建立された。建立当時の地元の有力者だった鷲尾綱貞の世話を得て、大工藤原周次・小工藤原光重という2人の作。

総高13メートル-19.1メートル、檜皮葺の屋根を持ち、初層内部には仏壇を置いて阿弥陀三尊像を安置している。現在は国の重要文化財に指定されている。

近世に至り、江戸時代前期の貞享5年(1688年)、現在の本殿が再建された。三間社流造、銅板葺。現在は市の文化財に指定されている。

明治時代になると、神宮寺が廃され、郷社に列した。旧山田村13ヶ村の総鎮守で、御祭神は八幡大神、つまり応神天皇。

例祭は10月第2日曜日。室町期から、あるいは江戸前期からともされる流鏑馬神事が行われる。市の無形民俗文化財。

9月第3日曜日には神幸祭がある。神輿まつりとも呼ばれる。明治期から始まった。神輿ごと川に入る禊ぎが行われる。

境内には、基灯創建の円融寺の遺構という薬師堂があり、市指定文化財の能舞台がある。大銀杏(イチョウ)は市民の木に指定されている。

【ご利益】
厄災除け、武運長久・勝運、身体壮健(公式HP
六条八幡神社 兵庫県神戸市北区山田町中宮ノ片
【関連記事】
兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
六条八幡神社 兵庫県神戸市北区山田町中宮ノ片の御朱印