地名「三木」は「御酒」から? 式内「御坂神社」の論社の一つ
[住所]兵庫県三木市別所町石野941
[電話]0794-82-0914 - 八雲社
御酒神社(みさかじんじゃ)は、兵庫県三木市別所町石野にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 美嚢郡「御坂神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
神功皇后が三韓征伐の凱旋帰途、播磨国明石郡津橋の海岸から上陸、この地で天神地祇を親祭したという。
ある時、同国美嚢郡石野村御酒社の地に大巳貴神が座すと聞き、重臣に命じて、三つの甕に酒を醸して献上したという。
神功皇后の伝承は、加佐の三坂神社にも残る。当社の創建は飛鳥時代の白稚5年(654年)4月1日とされる。
『播磨風土記』に「三木加古両郡境而地於処酒造御酒里今三文字改三木書同訓」とあり、三木の地名が御酒から、つまり当社にちなむとされる。
細川町にも同名神社があるが、この『播磨風土記』記載にちなむ伝承は残っていないようだ。
戦国時代の元亀3年(1572年)9月9日、天太玉神・天鈿女神・大物主神を勧請したという。
現在までに、主祭神が大物主神、配神が天太玉神・天鈿女神。もとの御祭神と考えられる大巳貴神は含まれていないか、大物主神として奉斎されているのか。
江戸時代後期の文化8年(1811年)閏2月、社殿を再建した。明治7年(1874年)、村社に列した。
例祭は5月1日。近隣の美坂社と宵宮の日に交流会を行い、会場も一年交代で実施される。屋台の宮入りがある。
境内社に、当社創建と同時期の白稚5年に奉斎された八幡社(誉田別神)、御祭神勧請と同時期の元亀3年に奉斎された皇太神社(天照大神)がある。
式内社「御坂神社」の論社は先の加佐の三坂神社、細川町の同名神社、近隣の美坂社の他に、志染町の御坂神社、細川町の三坂神社、口吉川町の篠原神社がある。
【ご利益】
酒造、厄災除け、技芸・スポーツ上達

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・兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
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御酒神社(みさかじんじゃ)は、兵庫県三木市別所町石野にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 美嚢郡「御坂神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
神功皇后が三韓征伐の凱旋帰途、播磨国明石郡津橋の海岸から上陸、この地で天神地祇を親祭したという。
ある時、同国美嚢郡石野村御酒社の地に大巳貴神が座すと聞き、重臣に命じて、三つの甕に酒を醸して献上したという。
神功皇后の伝承は、加佐の三坂神社にも残る。当社の創建は飛鳥時代の白稚5年(654年)4月1日とされる。
『播磨風土記』に「三木加古両郡境而地於処酒造御酒里今三文字改三木書同訓」とあり、三木の地名が御酒から、つまり当社にちなむとされる。
細川町にも同名神社があるが、この『播磨風土記』記載にちなむ伝承は残っていないようだ。
戦国時代の元亀3年(1572年)9月9日、天太玉神・天鈿女神・大物主神を勧請したという。
現在までに、主祭神が大物主神、配神が天太玉神・天鈿女神。もとの御祭神と考えられる大巳貴神は含まれていないか、大物主神として奉斎されているのか。
江戸時代後期の文化8年(1811年)閏2月、社殿を再建した。明治7年(1874年)、村社に列した。
例祭は5月1日。近隣の美坂社と宵宮の日に交流会を行い、会場も一年交代で実施される。屋台の宮入りがある。
境内社に、当社創建と同時期の白稚5年に奉斎された八幡社(誉田別神)、御祭神勧請と同時期の元亀3年に奉斎された皇太神社(天照大神)がある。
式内社「御坂神社」の論社は先の加佐の三坂神社、細川町の同名神社、近隣の美坂社の他に、志染町の御坂神社、細川町の三坂神社、口吉川町の篠原神社がある。
【ご利益】
酒造、厄災除け、技芸・スポーツ上達

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