飛鳥朝に天皇親拝、昭和に美保を勧請して1月に初戎、10月に神輿渡御
[住所]兵庫県神戸市北区有野町有野4435
[電話]078-907-5329
有間神社(ありまじんじゃ)は、兵庫県神戸市北区有野町有野にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 有馬郡「有間神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創建年代は不詳。もともとは山口庄名来村、現在の西宮市山口町名来に鎮座した。御祭神は大己貴大神・少彦名大神。
飛鳥時代の舒明3年(541年)9月、有馬温泉に行幸した欽明天皇が、大化3年(647年)10月には孝徳天皇が親拝したという。
奈良時代初期の和銅8年(715年)、西尾村の現在地に遷座した。
平安時代の仁寿元年(851年)、正六位上に叙せられ、仁壽2年(852年)4月と斉衡元年(854年)12月に奉幣があった。
貞観元年(859年)2月に社殿を修理し、4月に班幣があって、火鎮祭が斎行された。
貞観11年(869年)5月、海賊、風水害、地震などの災害を防除する祈祷を行ったという。
貞観13年(871年)12月、天下大疫で修理、班幣され、寛平5年(893年)、位一階を贈られ、安和元年(969年)、天御中主神を配祀した。
当社は、いつ頃からか別名を「山王さん」と呼ばれるようになった。御祭神との兼ね合いだろうか。
「山王」が「産の緒」に通じるということから、「安産の神社」として崇敬された。
妊婦が神前の「子安石」と呼ばれる石に安産を祈願し、産後に神前を流れる川で母子の身を清めたとの記録が残る。
生まれた子供が無事に成長することを祈願したとも伝わり、「子供守護の神社」としても崇敬された。
安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、兵火により社殿が焼失。
江戸時代になっても、初期の元和8年(1622年)、中期の寛政元年(1789年)にそれぞれ火災で社殿が焼失した。
江戸時代後期の嘉永2年(1849年)5月、黒木の鳥居一基が下賜された。明治になり、郷社に列した。
昭和10年(1935年)、島根県美保ヶ関の美保神社より事代主大神の御分霊を勧請、えびす様として、1月9日-11日には十日戎の初戎が執行されている。
平成7年(1995年)1月17日、阪神・淡路大震災では、社叢が防火林の役割を果たし、本殿などの焼失を免れた。
その社叢は、「ひょうごの森百選」に選定されている。例祭は10月の体育の日で、秋祭り。神輿の渡御がある。
境内社に、窪森社(天照大神)、猿田彦社(猿田彦大神)、天神社(菅原道真公)、八幡社(応神天皇)、稲荷社(稲荷大明神として天光岩光大明神・天上清春大明神)、武臣社(武臣大神)、奥津社(奥津日子神・奥津比売命)、国常立尊社(国常立尊)、黒尾社(黒尾大神)、不動明王がある。
武臣社の武臣大神は武内宿禰かと思ったが、当社の説明によれば、初代神武天皇の東遷の際、苦戦した時に助けた神、とする。
『古事記』記載で該当しそうなのは、高倉下・佐士布都神・八咫烏・道臣命・大久米命などか。道臣命が名前としては近いが、苦戦の時に助けた、というよりは、もとからの神武重臣。
【ご利益】
厄災除け、安産・子育て、病気平癒、商売繁盛(公式HP)
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有間神社(ありまじんじゃ)は、兵庫県神戸市北区有野町有野にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 有馬郡「有間神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創建年代は不詳。もともとは山口庄名来村、現在の西宮市山口町名来に鎮座した。御祭神は大己貴大神・少彦名大神。
飛鳥時代の舒明3年(541年)9月、有馬温泉に行幸した欽明天皇が、大化3年(647年)10月には孝徳天皇が親拝したという。
奈良時代初期の和銅8年(715年)、西尾村の現在地に遷座した。
平安時代の仁寿元年(851年)、正六位上に叙せられ、仁壽2年(852年)4月と斉衡元年(854年)12月に奉幣があった。
貞観元年(859年)2月に社殿を修理し、4月に班幣があって、火鎮祭が斎行された。
貞観11年(869年)5月、海賊、風水害、地震などの災害を防除する祈祷を行ったという。
貞観13年(871年)12月、天下大疫で修理、班幣され、寛平5年(893年)、位一階を贈られ、安和元年(969年)、天御中主神を配祀した。
当社は、いつ頃からか別名を「山王さん」と呼ばれるようになった。御祭神との兼ね合いだろうか。
「山王」が「産の緒」に通じるということから、「安産の神社」として崇敬された。
妊婦が神前の「子安石」と呼ばれる石に安産を祈願し、産後に神前を流れる川で母子の身を清めたとの記録が残る。
生まれた子供が無事に成長することを祈願したとも伝わり、「子供守護の神社」としても崇敬された。
安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、兵火により社殿が焼失。
江戸時代になっても、初期の元和8年(1622年)、中期の寛政元年(1789年)にそれぞれ火災で社殿が焼失した。
江戸時代後期の嘉永2年(1849年)5月、黒木の鳥居一基が下賜された。明治になり、郷社に列した。
昭和10年(1935年)、島根県美保ヶ関の美保神社より事代主大神の御分霊を勧請、えびす様として、1月9日-11日には十日戎の初戎が執行されている。
平成7年(1995年)1月17日、阪神・淡路大震災では、社叢が防火林の役割を果たし、本殿などの焼失を免れた。
その社叢は、「ひょうごの森百選」に選定されている。例祭は10月の体育の日で、秋祭り。神輿の渡御がある。
境内社に、窪森社(天照大神)、猿田彦社(猿田彦大神)、天神社(菅原道真公)、八幡社(応神天皇)、稲荷社(稲荷大明神として天光岩光大明神・天上清春大明神)、武臣社(武臣大神)、奥津社(奥津日子神・奥津比売命)、国常立尊社(国常立尊)、黒尾社(黒尾大神)、不動明王がある。
武臣社の武臣大神は武内宿禰かと思ったが、当社の説明によれば、初代神武天皇の東遷の際、苦戦した時に助けた神、とする。
『古事記』記載で該当しそうなのは、高倉下・佐士布都神・八咫烏・道臣命・大久米命などか。道臣命が名前としては近いが、苦戦の時に助けた、というよりは、もとからの神武重臣。
【ご利益】
厄災除け、安産・子育て、病気平癒、商売繁盛(公式HP)
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